【2016年4月乗車記と乗り歩き/廃止を回避出来た理由は?珍しくキハ11の2両でも大混雑!まずは松坂~家城の車窓を】名松線奇跡の復活①

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2016年4月乗車記と乗り歩き。JR東海の名松線は2009年の災害により家城~伊勢奥津間が不通だった。2016年3月に奇跡の復活!廃止を回避出来た理由は?車両はキハ25系は入らない?キハ11系の2両に乗ると珍しく大混雑!後面展望で松坂~家城間の車窓をじっくりと見る!

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もくじ

★廃止が危ぶまれた名松線奇跡の復活!


2009年10月8日、三重県を通過した台風18号でJR東海の名松(めいしょう)線は大規模な被害を受けた。
被害が集中したのは家城(いえき)~伊勢奥津(いせおきつ)。土砂流入、盛土流出、道床流出等が多発。
つまり、線路等の鉄道施設の多くが台風で流されたり、周辺の土砂崩れ等により土砂が入ってきたのだ。復旧は容易ではない。
一方で、松阪~家城では被害がほとんどなく、井関~伊勢大井で落石1件のみ。

「名松線被災状況」(JR東海ホームページ)

↑詳細はこちらを参照されたい。

松阪~家城では運休期間は1週間程度で済んだが、家城~伊勢奥津については復旧を断念。その年の10月中に沿線自治体にバス転換を通告した。
大雨等による自然災害で復旧せずにそのまま廃止になる例は少なくない。近年では岩手県の岩泉線や宮崎県の高千穂鉄道がこれだ。
名松線もそうなる事が危ぶまれた。運休してからすぐにJR東海がバス転換の方針を示したのは、「廃止」を意味する。
だが、「廃止」についての考え方がユニークだった。
鉄道としての旅客輸送は終了するが、今後はJR東海の責任でバスによるそれを継続すると言うもの。運賃レベルは鉄道時代と変わらないため、お客の負担はない。それがJR東海と言う企業が果たすべき「社会的責任」と言う考えだ。他社ならばその責任を負わずにすぐに身を引いてしまう。ある意味ではこの会社らしい考えだ。

三重県や津市やJR東海に鉄道による復旧を強く熱望。だが、JR東海にとっては都合が悪かった。
仮に復旧したとしても、2009年台風18号程度の災害で再び同じ被害を受ける可能性が高い事。直す対象は鉄道施設だけではなく、山・川・地盤等の対策も必要になるからだ。そうなれば、JR東海1社だけでは出来ない。役所の協力も必要だし莫大な費用もかかる。
名松線が儲かっているか?と言うと、そうではない。

2008年時点の「数字」を示す。
1日1キロあたりの平均乗車人数(輸送密度)は被災区間に限って言えばたったの90人。これではバスで十分なレベルだ。なお、バス輸送中は30人までに低下した。
結局JR東海と沿線自治体で話し合いを進めて、それぞれが復旧費用を折半する事になった。
治山・治水等の工事は時間がかかる。2011年度から開始されたが、鉄道施設に対する工事は2013年度から。いかに被害が大きく、周辺の地形も整えないといけないのかがわかる。

★2016年4月乗車記と乗り歩き。珍しく2両でも想定外の大混雑!名松線はキハ11系300番台による運転が原則


【乗車日】2016年4月9日(土)
【列車番号】413C(名松線伊勢奥津行き)
【時刻】松阪11:33→伊勢八知12:42
【車両】キハ11-305+キハ11-306(306に乗る)

【備考】時刻、料金、描写等は全て当時のもの。現在とは大幅に異なる場合がある

まずは簡単に歴史を述べる。名松線とは名張と松阪を結ぶ路線であった。この間を結ぶために建設が始まった。しかし、少しすると私鉄の参宮急行電鉄、すなわち今の近鉄大阪線が先に開通(1930年)。大義名分を失った。1935年までに伊勢奥津まで開通し以後延伸は行わなかった。
名張・松阪の都市間連絡機能の役割は果たせなかった。長年地元の足として機能するだけだった。
国鉄末期、いわゆる「赤字83線区」の”ブラックリスト”に入りそうになったが、「並行道路未整備」の理由で除外された。
ちょうどその頃、やはり大雨災害で被災し地元から熱烈な「廃止反対運動」があった事も書き加えておきたい。

松阪駅で名松線列車を待っていると、408C(11:01着)が着いた。

↑名松線にしては珍しく2両。多くのお客が降りてキハ11にカメラを向ける。
キハ11には大きく分けて2つある。
1つは鋼鉄製の車体。これはトイレ未設置の100番台等で2016年3月までに全て引退し、海外等に移籍した。
そしてもう1つがステンレス製の車体。300番台と称し、トイレ設置。乗車時間が長い紀勢線の多気以南で活躍。元々6両あったが、そのうちの2両(キハ11-301とキハ11-302)は東海交通事業(TKJ)の城北線に移籍した。
残りの4両は、事実上の名松線専用である。

一部では「キハ25も名松線で運行」とあるが、私が現地で調べた所全列車がキハ11の300番台である。
キハ25は一応入線実績があるが、それは今年3月26日以前の試験走行の時だ。キハ11は両数が少ないため、検査等で不足する場合はキハ25が代走する可能性もありうる。
だが、実際問題キハ25ロングシート2両も必要なほどの需要はない。

↑413C発車30分前の車内。空席が目立つが、ほとんどは折り返しで着いた411Cと入れ替わりでお客がたくさん乗ってきた。
あっさりボックス席は全席埋まり、立客も増える。
ボックス席のお客は、弁当につまみを広げて旅行気分。どう見ても地元の人ばかりだ。
飛んできた言葉は、「伊勢奥津まで行くのか?」「指定席なのか?」等初歩的なものばかり。普段から鉄道を使わない証拠だ。乗車記を書いていると、たまにそのようなお客に遭遇した描写を記すことがある。
今回は、奇跡的に復活して時間が経過していないので、”ご祝儀”的な乗車が多いのだろうか?
私はボックス席に着席したが、どんどん車内が混雑し自由に外の写真が撮れない事に嫌気がさす。
結局立ち上がって、最後部の運転台付近に。ここに立つお客はわずかだ。
発車直前には、運転士から

「車内混みあいましてご迷惑を・・・」

と放送が入る。
なんとか全員乗車して、松阪を発車した。

★まずは「奇跡の復活区間」に入る前の松坂~家城間の車窓をじっくりと見る

↑松阪~上ノ庄(かみのしょう)

松阪からしばらくは近鉄と並走。JRの線路は紀勢線と同じで少し走ると、左側に進路をとる。ここからは単線並列区間で写真2枚目の右側の線路が名松線、左側が紀勢線(亀山方面)となる。

↑上ノ庄駅

↑上ノ庄~権現前(ごんげんまえ)

名松線の線路はマクラギがコンクリート(PC)化されていない。JR東海では珍しく木製マクラギのままだ。
乗り心地が良いとは言えない。線路の状態も良くない。あくまでも必要最低限の手入れしかやっていない。
だから、ガタガタと揺れが目立つ。
この先、緩やかな傾斜がある駅が目立ち実際には動いていないはずなのに、感覚的には転動しているように。
名松線に対してはそれだけ保線費用をかけられないのだ。
それでもJR西日本の簡易保線に比べればマシだが😅

↑権現前駅。
廃レールや廃橋げたが右側にあった。これは被災区間から回収して仮置きしているのだろうか?

↑一志~井関
一志は近鉄の川合高岡駅の近く。公式の乗り換え駅ではない。帰りにこの駅を近鉄特急で通ったが極めて小さな駅。調べてみるとホームは2両分しかない。周辺はロードサイド店も目立ち、菓子の「ベビースターラーメン」の製造元「おやつカンパニー」の本社工場もここにある。
この辺から緩やかに登りとなる。そして少しずつだが山に入って険しくなってくる。

↑急に何もなくなった井関駅。ひっそりとしている。

↑井関~伊勢大井

↑伊勢大井駅

↑伊勢大井~伊勢川口

↑伊勢川口駅。以前は列車交換が出来たようで、副本線に対する線路が残っていたが今はそれも出来なくなっている。名松線の交換設備は家城のみで最小限に絞られている。

↑関ノ宮~家城
写真ではわかりにくいが、正面の山の中腹のサクラは有名らしい。
この間の途中駅からの乗車も多いが、乗り方がわからない人が実に目立つ。ワンマン列車なので整理券を受け取る必要があるが、その事を知らなかったり、発行機の場所を必死に探したり、後ろ寄りの車両のドアが開かない事を知らずにドアがあくまでずっと待つ。
恐らく普段の移動手段はクルマなのだろう。とりあえず駅の場所はわかっても利用する機会がない。地方の鉄道ではどこでも見られる光景だが、乗るお客のほとんどが「乗り方」を知らないとは驚いた。

名松線で唯一列車交換が可能な家城駅に着く。ここまでは元々から運行を継続していた区間。家城駅から先が「奇跡の復活区間」となる。ここの車窓等の詳しい事は↓

2回目に続く(6月5日公開、下記リンクをクリック)

【2016年4月乗車記/家城~伊勢八知/家城駅のタブレット交換/台風の爪痕が残る車窓】名松線奇跡の復活②

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