【簡単にわかる伊豆特急と特急踊り子の歴史~国鉄・JR時代の1981年~2021年にかけて】特急踊り子を追いかけた⑭

広告
広告
広告

「伊豆特急と特急踊り子の歴史」が簡単にわかる!2回に分けて書いた。今回は後半。国鉄時代の1981年からJR発足後の2021年にかけて。185系が「踊り子」として登場すると「〇〇踊り子」と称する乱立した列車名が増える。1987年の国鉄分割民営化で運行会社が4社に。1本の特急を同時に4社で運行するのは国内最多タイであるが、それでも伊豆特急と特急踊り子は大きな変化がなかった。首都圏から伊豆への優等列車は一貫して「電車」か「電気機関車+客車」で気動車やSL運転がなかった。それでもリバイバル運転と称して2000年までは「客車の踊り子」があった!伊豆急行の2100系は1988年に私鉄車両で初めての事を達成する!1990年に251系特急スーパービュー踊り子が登場し伊豆特急のイメージを大きく変えた。「マリンエクスプレス踊り子」や「伊豆クレイル」も伊豆特急と特急踊り子の歴史の中では特筆すべき点だった!登場から40年を迎えた185系も遂に寿命を迎えて、2021年に全ての車両が引退した。そしてE257系による「踊り子」に変わり「スワローサービス」による全車指定席化・チケットレス乗車も可能になるという伊豆特急と特急踊り子も新時代を迎えた!

広告
広告

前回までの続きは下記をクリック

【2020年12月乗車記と乗り鉄/実は50年選手!伊豆急行8000系普通列車に乗る】特急踊り子を追いかけた①

【2020年12月撮影記と撮り鉄/断崖絶壁の伊豆北川駅からE257系2000番台を撮る】特急踊り子を追いかけた②

【2020年12月撮影記と撮り鉄/THE ROYAL EXPRESSと185系を片瀬白田駅で撮る】特急踊り子を追いかけた③

【2020年12月撮影記と撮り鉄/伊豆急行線超有名場所(片瀬白田~伊豆稲取)185系等撮る】特急踊り子を追いかけた④

【2020年12月乗車記と乗り鉄/特別な特急踊り子?!2100系リゾート21「黒船電車」】特急踊り子を追いかけた⑤

【2020年12月撮影記と撮り鉄/超大物新人!E261系特急サフィール踊り子登場!】特急踊り子を追いかけた⑥

【2020年12月乗車記と乗り鉄/国鉄の雰囲気を忠実に残す185系特急踊り子16号に乗る】特急踊り子を追いかけた⑦

【2021年2月乗車記と乗り鉄/伊豆箱根鉄道駿豆線185系特急踊り子3号に特急券なしで乗る】特急踊り子を追いかけた⑧

【2021年2月乗車記と乗り鉄/185系が三島駅で伊豆箱根鉄道→JR線の渡り線を通る】特急踊り子を追いかけた⑨

【熱海駅で185系を連結!傍若無人な撮影会/なぜジャンパー線の接続をするのか?】特急踊り子を追いかけた⑩

【伊東線の来宮駅は穴場的な撮影地!E261系サフィール踊り子から211系JR東海車両まで】特急踊り子を追いかけた⑪

【2021年2月撮影記/伊東線の網代駅で185系やE261系等を撮る/ホームに時刻表がない!】特急踊り子を追いかけた⑫

【簡単にわかる伊豆特急と特急踊り子の歴史~国鉄時代の1928年~1981年にかけて】特急踊り子を追いかけた⑬

もくじ

★簡単にわかる伊豆特急と特急踊り子の歴史😆今回は「後半」として国鉄時代(1981年~2021年にかけて)😆

↑2021年3月12日(金)をもって185系特急踊り子は定期列車から引退する事になった😭185系と言う車両はJR東日本では異例の”長生き”で1981年の登場から約40年に渡り、基本的に姿・形を変えずに活躍した😆全国的に見てもこれだけの間「ほぼ原形を維持した鉄道車両」と言うのは非常に珍しい😆

2021年3月13日(土)からは特急踊り子シリーズ、すなわち東京から伊豆を結ぶ特急は全列車全席指定となった😩いわゆる「スワローサービス」が伊豆特急でも始まったという大きな歴史的な転換点にもなった🥳この機会に伊豆特急と特急踊り子の歴史について簡単に説明する😆

本当の所は”みなまで”説明したいのであるが、調べてみると今の特急踊り子の原型となる列車は戦前から存在😲ここから現在(2021年)のE261系サフィール踊り子までの壮大な歴史を説明すると、それこそ1冊の本が出来てしまうほどのボリュームがある😵この記事も長めの文字量(約13,000文字)で構成している😳短く書こうと思ったが、取り上げないとならない史実が多かった😩それでも比較的簡単に説明したつもりである😅

伊豆特急と特急踊り子の歴史を”みなまで”知りたい向きの人も読者諸氏の中では多いと思うが、”みなのみなまで”書くと書く方も読む方も大変になるので、”みなのみなまで”知りたい人はそういう専門書などに譲る😅今回の当ブログ記事では私がピックアップした内容を中心に簡単に説明する😅そのため内容に偏りがある点(取り上げない項目もある)はご了承願いたい😅

★昭和から平成、そして令和に続く栄光の「特急踊り子」時代が本格的にスタート😆🥳

「踊り子(列車」(Wikipediaの記述、戦前部分から)

↑これを参考に展開する。それ以外にも「Rail Magazine」の別冊で2021年2月に出版した「永久保存版185系踊り子最終章」、「鉄道友の会静岡支部の会報」(非売品、同支部所属の会員に定期的に配布される冊子、私が持っている2019年からの約2年分)も参考にした。

↑185系は1981年(昭和56年)3月~9月にかけて首都圏から伊豆への優等列車に使う車両として新造された😆同年10月1日のダイヤ改正で特急「あまぎ」と急行「伊豆」を合体した特急「踊り子」が登場😆🥳いよいよ今(2021年)に続く特急「踊り子」時代がスタートした🥳

当時のダイヤを見ると東京駅を9時00分から1時間毎に15時頃まで運転されるようになった😆多少の違いはあるものの基本的な時刻は40年間大きく変わっていない😲列車番号もほとんど変わっていない😲例えば東京9時00分発の「踊り子3号」伊豆急下田・修善寺行きは東京~熱海間で前側に185系10両+後ろ側に185系5両を連結する列車編成🥳熱海駅で切り離しを行い、前側が伊豆急下田行きとして、後ろ側が修善寺行きとして運行😆ダイヤそのものも40年間ほとんど変わっていない😲さらに列車番号も伊豆急下田行き3023М、修善寺行きは熱海以西に限り4023Мを名乗っているのも変わっていない😲

このダイヤと列車番号については、E257系に引き継がれた2021年3月13日以降も変わっていない😲これだけ長期に渡りダイヤと列車番号が変わらないのは珍しいのではないか🤔

【185系200番台の登場😆】

↑ところで、185系は大きく分けて2種類ある😆10両・5両の0番台と7両の200番台である😲前者は特急「踊り子」として使用する車両であったが、後者はやや特殊な車両だった🤔

↑東北新幹線は1982年(昭和57年)6月23日に、上越新幹線は1982年(昭和57年)11月15日に開業した🥳前者は大宮~盛岡間、後者は大宮~新潟間である。東海道新幹線との決定的な違いは一気に全線開業したのではないのだ😫1985年(昭和60年)3月14日に上野~大宮間で開業するまではそもそも東京都内から「北に行く新幹線」には乗る事が出来なかった😫

ではどうしたか?🤔国鉄は大宮駅から新幹線に乗るお客専用の列車を仕立てた😆その名も「新幹線リレー号」である😆流石に115系等の一般的な通勤車両で新幹線の代わりにお客を輸送するのは申し訳ない。国鉄は「新幹線リレー号」のためだけにわざわざ特急車両を新造したのだ😆😲それが185系200番台と言える😲

しかし、この時点で「新幹線リレー号」として活躍出来るのは、新幹線が上野に開業する1985年までの約3年だったという事は既に分かり切っていた😫ちょうどその頃高崎線と上越線の急行や普通列車で使う153系や165系は老朽化していた😫そこでこのタイミングで置き換える事になったのだ😆鉄道車両は製造するだけで1~2年程度はかかる😫国鉄は1980年(昭和55年)の「第三次債務車両計画」で車両メーカー(日本車輌製造、川崎重工業、東急車輛製造、近畿車輛、日立製作所)に発注され、1981年(昭和56年)から1982年(昭和57年)にかけて9編成63両(1981年)と7編成49両(1982年)が落成(登場)した😆配属先は新前橋電車区(高崎鉄道管理局管内)であった。

この185系は200番台と称する事になったが、185系0番台の「踊り子」用と基本は同じでも細かい部分で違いがあった😲下記の表の通りである🤔

分類0番台との変更点
両数10両・5両→7両に変更
横軽対策横川~軽井沢間の碓氷峠通過用装備を設置。空気ばねパンク用吐出弁、車掌弁増設マイクロスイッチ設置等
耐寒耐雪スノープラウ設置、パンタグラフ上昇ばねに覆い設置、耐雪ブレーキ増設、戸袋ヒーター設置、結露防止のため窓の構造変更等
その他コンプレッサーの誘導電動機化、165系との協調運転設備搭載等

↑要するに185系200番台は、寒冷地仕様にしたという事だ🥶当時は信越本線の横川~軽井沢間を通る事も求められたため、そこに必要な装備を搭載した事もポイント😲実際に横川~軽井沢間でも定期列車として運用されており、早朝や夜に普通列車として運転されていた。単独では運転出来ないためEF63電気機関車2両を連結して運転していた😳この姿は見てみたかった😞この区間の運転は長野新幹線(北陸新幹線)が開業する直前まで残っていた😲

「新幹線リレー号」は輸送力を確保するため185系200番台の14両(7両を2編成連結)で運転された😳しかし1985年には新幹線が上野まで開業したのでお役御免😫同時に高崎線や上越線では「草津」「ゆけむり」と言った急行が廃止になり、185系は新たに近距離特急として「新特急」の冠が付いた😆これが「谷川」「草津」「あかぎ」等に転用された😆

だがそれでも185系200番台は多かったため、7両×4本が田町電車区に移籍した😲JR発足後にもさらに3本が移籍してきた🥳この当時は一部で183系が残っていたが、これにより首都圏から伊豆への優等列車は185系に統一された😆

★特急「踊り子」に客車が運転されていた🥳😳

前回から「伊豆特急と特急踊り子の歴史」を述べているが、1928年(昭和3年)の運転開始時から一貫して「電車」「電気機関車+客車」による運転だった😆SL(蒸気機関車)どころか、気動車による実績は全くなかった😲全国的に見てもこれだけ歴史がある列車で「電車」「電気機関車+客車」しか運転されていないのは意外と珍しい😆

昭和30年代まで国鉄の近代化は遅れており、非電化路線なのは幹線路線でも当たり前で、SL列車もそれなりに残っていたのである😆しかし、国鉄は時代の要請もあってか非電化区間を電化、SL運転をディーゼル機関車(または気動車や電車化)への置き換えを全国的に同時並行的に進めた😆

1982年(昭和57年)から臨時列車として運行された客車列車(正確には復活)が始まった😆これもいろいろとあるものの、例えば同年の大晦日に東京~伊東間で14系座席客車で臨時の特急「踊り子」として運転😆ヘッドマークもわざわざ付けて、電気機関車はEF58-61だったので当時の鉄道ファンにとってはヨダレ🤤ものの光景だったという。

1983年(昭和58年)も14系客車による「踊り子」が運転されたもののこの時から伊豆急下田へ乗り入れている。伊豆急行は開業以来客車列車の入線実績がなかったのであるが、その理由が終着の伊豆急下田駅には機回し線がなかった😫そうなれば機関車の方向転換が出来ない😩同駅での機回し作業はED25と言う伊豆急行の電気機関車が手助けを行う事になったが、具体的にどのような運転手法なのかはわからない😫伊豆急下田駅までは国鉄のEF58の入線もこの時に達成出来た😆

この後も特急「お座敷踊り子号」、欧風客車の「サロンエクスプレス踊り子」など1989年(平成元年)1月まで続いた😆運転があるたびに沿線では撮り鉄(同業者)が集結したのは言うまでもない🤩

「客車の踊り子」は2000年(平成12年)まで散発的に臨時列車として何度も運行される事が繰り返される🤩しかし今のJR線で客車の旅客列車は極一部を除き存在せず、JR発足後の新造も「カシオペア」やJR九州の「ななつ星in九州」を除けば行われていない😫国鉄時代に作った車両は次第と老朽化し、2000年に「さよなら20世紀踊り子号」をもって事実上幕を閉じた😭

★国鉄民営化で首都圏から伊豆への優等列車は4社体制に😆

今まで首都圏から伊豆への優等列車は伊豆急行と伊豆箱根鉄道駿豆線の区間を除き、日本国有鉄道(国鉄)が担ってきた😆しかし、東海道新幹線が開業した1964年(昭和39年)から慢性的な赤字体質企業になってしまった😫1970年代にかけて全国に新しい鉄道路線の建設も相次いだ🤩当時国鉄の収益は年間1兆円であったが、設備投資(路線の建設、新しい車両や設備に使うコスト)は年間20兆円とも言われていた🤑当時は考えが甘く🥳

新しい路線が出来たらお客さんがたくさん乗ってくれるでしょう😇一括で支払う事は出来ないので、借金して新しい路線を作って、新しい路線にたくさんのお客さんがお金を落としてくれるだろう😆そこで売り上げたお金で借金を返済すれば良い🤩

当時の国鉄の甘い考え

しかし甘くなかった😫😱既にモータリゼーション(自動車社会)が全国的に進行しており、鉄道が新しく出来てもお客さんなんて乗ってくれなかったのだ😱北海道のように明らかに人が住んでいない地域にもバンバン路線を作ったので、路線を作った借金どころか日々の運営費用すら用意出来ない状況になった😱簡単に言えば今のJR北海道よりも酷い経営状況だったのだ😱

さらに国鉄で働く職員(従業員)からは😖

給料上げろ😤

待遇改善しろ😤

↑などの要求が増えた😱会社(国鉄)はこの要求を受け入れる事がなく、職員側は抗議を示す意味で、ストライキ等の労働争議が日常的に行われた😱こんな状況ならば顧客満足が高いわけもなく、次第と国鉄を使わなくなる😱余計に国鉄の経営状況は悪くなる。赤字も増える一方だ😫そこで「国鉄を解体する」という事になった😫

とは言っても移動手段である鉄道が消えてしまうのは困る😰そこで国鉄を国の公社から民間会社に変更する事になった。国鉄の鉄道は人を輸送する「旅客」と荷物を輸送する「貨物」があったが、後者は全国1社単位にして、前者は地域ごとに6社に分けた😆実はこの事で特急「踊り子」は以後の歴史も大きく変わる事になる😱

1987年(昭和62年)3月31日、鉄道省時代から115年続いた「国鉄」こと「日本国有鉄道」は営業を終了してしまった😱😭

翌日の1987年(昭和62年)4月1日からは、株式会社の鉄道会社が新たなに発足した🥳これがいわゆる「JR」である🥳この事を「国鉄分割民営化」と言う😲

特急「踊り子」関連で言うと、東海道本線の東京~熱海間と伊東線は、東日本旅客鉄道(いわゆるJR東日本)が担う事になった🥳

熱海駅から西側は鉄道会社が変更となった😲国鉄時代、鉄道管理局(各地方にある大きな組織の事で、今のJR各社で言う支社に相当する組織)の境界が熱海~函南間であったためだ😲すなわち丹那トンネルの内部までが東京南鉄道管理局、丹那トンネルの函南側からが静岡鉄道管理局の管轄だったのである。そのため駅間的には熱海~函南間で会社を変更する事になった😲東海道本線の熱海~三島間(正確に言うと熱海~米原間)は、東海旅客鉄道(いわゆるJR東海)が担う事になった🥳

これは余談だが、線路上(資産上)の境界は国鉄時代と多少異なり、丹那トンネルの熱海側までがJR東日本の管轄で、丹那トンネルの内部はJR東海の管轄となっている。

この時から現在(2021年5月)に至るまで国鉄だった区間はJR東日本とJR東海の2社になった😆プラスして以前から伊豆急行と伊豆箱根鉄道も特急「踊り子」を運転していたため、1つの列車を4社も運転する事になった😆

全国的に見ても1つの列車を同時に4社も運転する事は今(2021年5月)現在、「サンライズ瀬戸」と同じく最多タイである😆過去には寝台特急さくら・はやぶさ・富士も4社で行っていたし、3社になれば在来線時代の特急はくたか等がある。

特急「踊り子」はJR発足後はJR東日本を中心にサービス展開が図られ、残りの3社が追随する形となっている😆車両は基本的にJR東日本が用意し、伊豆急行が臨時的に用意する事があるものの、JR東海と伊豆箱根鉄道は車両を用意する事はなく、JR東日本から乗り入れてくる立場である😅また乗務員は原則として自社管内の担当で境界駅(熱海、伊東、三島)で必ず交代となる。JR発足当初はJR東日本の乗務員がJR東海の三島まで乗務していたようだが、今では行われていない😫

【国鉄分割民営化で大きく変わらなかった特急踊り子😌】

国鉄最後のダイヤ改正は1986年(昭和61年)11月1日で、これをそのまま1987年4月1日以降のダイヤとしても引き継いだ。これは全国的に言える話だが、国鉄からJRと言う新会社に変わった途端、極端にダイヤが変わるという事はなかった😌結果的にはこのダイヤ改正をベースに2010年(平成22年)頃まで修正程度の時刻変更をした程度と言うものが目立った😲2010年代に入ると、利用者減少や車両の更新、社会情勢の変化、JR各社の経営体制の変化(特に北海道と西日本)などなどにより、ようやくダイヤの姿が変わったと言える😲

国鉄分割民営化において、運行する会社が4社体制になったのは前述の通りであるが、運行ダイヤについては大きく変わるわけではなかった😌中には「踊り子」のように車両やサービスが変わっても登場から40年以上大きくダイヤや本数を変えていないのが実態である😲

【多様な発着駅の登場😆】

「踊り子」「サフィール踊り子」とも基本的な運行区間は東京~伊豆急下田・修善寺である😆前回の前半でも述べたが、かつては「湘南日光」とか「常磐伊豆」というような東京駅以北へ直通する列車がわずかながらあった😆これが国鉄分割民営化本格的に展開される😆

いくつか例を出すと、「モントーレ踊り子」(1987年10月~1991年2月、185系200番台)、「ウイング踊り子」(1989年4月~1991年1月、183系)、「はちおうじ踊り子」(2014年2月~2015年3月、185系)などが登場した🥳他にも東京~伊豆急下田間の定番の運行区間でありながらも、使用する車両が異なるため「〇〇踊り子」と称したが多数登場したのもJR時代の特徴と言える😆

★伊豆急行2100系が私鉄車両で初めて東京駅に乗り入れる😆

↑伊豆急行の立場としては、JR側から車両が乗り入れてくる事になる。自社車両でJR線に乗り入れるのは伊東線直通の熱海行き普通列車だけで、「踊り子」と言う特急などの優等列車で乗り入れさせてもらう事は今までなかった😩

この事を「片乗り入れ」と言うが、本来は路線距離に応じて伊豆急行も自社の車両をJR線で「踊り子」として走らせないと”分が合わない”😩現状(2021年5月)では一部の臨時列車を除き、定期的に運行する列車では伊豆急行所属の車両が「踊り子」で運行する事はないが、現状でも時々写真の伊豆急行2100系がイベント等でJR線に乗り入れるがある😏

最初に伊豆急行2100系が「踊り子」として東海道本線に乗り入れたのは、1988年(昭和63年)のゴールデンウイークに設定された全車指定席の「リゾートライナー21」であった😆この列車は2つの特徴がある😲1つ目は種別が「快速」であった事😲2つ目は私鉄車両で史上初の東京駅乗り入れを果たした😆特に2つ目の事は国鉄時代にはあり得ない事であった😆

★251系「スーパービュー踊り子」(SVO)の登場🥳

↑1990年(平成2年)4月、伊豆特急に新しい車両と列車が登場した🥳それが「スーパービュー踊り子」(略してSVO)である🥳

「踊り子」とは称しているものの大きく姿・形・サービスを変えていた😳251系と言われる新形式車両で、10両固定編成🥳車体構造はハイデッカーやダブルデッカーで車窓をよく見えるようにしたのが特徴🥳「乗ったら伊豆」がコンセプトで、伊豆に到着する前から伊豆を楽しめる列車にしたのだ🥳この事は今の「サフィール踊り子」にも継承されている事を忘れてはならない🤩

「スーパービュー踊り子」のサービス面での特徴はいろいろとあるが、全車指定席で運用されていた事もあり、乗車時に客室乗務員による乗車券と指定席特急券の確認があった😅乗車出来るドアは2両に1つ程度に限定😅A特急料金を導入したため185系の「踊り子」よりも特急料金が高くなった🤑

あくまでも185系「踊り子」とは”別の踊り子”として用意された車両(列車)であるため、5両の付属編成は最初から用意されず、熱海以西のJR東海と伊豆箱根鉄道管内に入線する事もなかった😩251系は10両4編成しか登場せず、原則として東京・新宿(池袋・大宮発着だった時代もあり)~伊豆急下田間で運行された😆間合い運用として「湘南ライナー」としても走る事があった。

1990年の登場当時はグレー系統の地味な色合いの車体であったが、2004年(平成16年)にリニューアル工事が施され明るい水色(アクア色と言って良かろうか)に変更され、イメージが一新した😆それでも列車の運行形態の変更はなく、2020年(令和2年)3月に「サフィール踊り子」に置き換わる形で全車両定期運用から撤退😞同時に「スーパービュー踊り子」と言う列車名も消滅した😫以後は他へ転用される事もなく全て廃車解体となっている😞

私は一度だけ「スーパービュー踊り子」に乗った事がある😆車内の空間がとにかく広く「開放的な車内」だったという感想が強烈に今でも残る😆251系とスーパービュー踊り子は乗車・撮影回数が大幅に少なく、今思えばそれを増やしておけば良かったと思う😫それが出来なかったのは痛恨の極みである😞

★「〇〇踊り子」と称する”踊り子”を冠とした列車の乱立🥳

前回述べたが、国鉄時代の首都圏から伊豆への優等列車は実にいろんな列車名があった。国鉄時代は単に地名を付けたような列車が多く、「伊豆」「しゅぜんじ」「あまぎ」などがその代表例である😅

1981年に「踊り子」が登場すると、一部の例外はあったものの原則として「〇〇踊り子」と称する”踊り子”を冠とした列車が乱立するようになる😩逆に言えば「踊り子」と称していない優等列車は一部の例外を除けば事実上消滅したと言っても過言ではない😏

私は深く勉強していないので誤りを含むかもしれないが、全国的に見て派生した列車名の中でも一貫して特定の「〇〇踊り子」と称する冠とした列車が乱立する事はない😲つまり列車名のどこかに「踊り子」と言う名前が必ず付くのだ😲

お客に速さ・新車などをアピールするために「スーパー〇〇」と称するケースは2010年代まで多かったが、JR北海道にあるように「今や速いし、車両も全て新しい(国鉄型車両がない)。わざわざ”スーパー”を付ける理由がない」として単に「おおぞら」「とかち」「北斗」となるケースが増えている😲JR九州でかつてあった「リレーつばめ」の「リレー」は別の意味の方が強かったので、厳密に言えば冠の乱立とは言い難いが、この場合「〇〇つばめ」的な「つばめ」と言う表記は残しておき、「〇〇」の部分だけその時代ごとに変える事例は「踊り子」を除けば、なかったと思う。

「踊り子」と言う名前が伊豆特急におけるブランドとなったのは間違えない事である🥳「踊り子」と言う名前をどこかに付けておけば、お客にとっても「伊豆に行く列車」という事がわかるのだ🥳

”乱立した踊り子”の一例を出すと、「リゾート踊り子」、「ウイング踊り子」、「シーリゾート踊り子」、「フルール踊り子」、「上州踊り子」、「伊豆の踊り子」、「マリンエクスプレス踊り子」、「サフィール踊り子」等である。

↑記憶に新しい所だと「マリンエクスプレス踊り子」であろうか🥳運行区間こそは東京~伊豆急下田と”定番”であったが、成田空港輸送で使うE259系特急「成田エクスプレス」の車両が余った😫理由は空港輸送の低迷で、これは国際的な事や社会情勢が影響したため😱「インバウンド」と称した時代は増発・増結を繰り返しても旅客が運び切れないほどという事もあったが、COVID-19のような疫病が起こると旅客は一気に消えてしまった。今や一部の定期列車でさえも運休するし、12両だった編成が6両に半減と「需要と供給のバランス」が難しいのが空港輸送の特徴である😫

E259系も車両を用意したが比較的余り気味で、有効活用するという目的で伊豆特急へと転用となった😆細かい事を言うと、E259系はJR東日本横浜支社の鎌倉車両センター(横クラ)であるが、特急「踊り子」の運行主体も同支社である😲同じ支社内の車両と列車だったので、目的外使用と言っても良いE259系を伊豆特急への転用も容易だったのではないかと思う🤔もし車両の管轄が東京支社や千葉支社だったら、そもそも「マリンエクスプレス踊り子」なる列車自体が登場しなかったのかもしれない😫

「マリンエクスプレス踊り子」は車内の設備こそは「成田エクスプレス」と同じくそのままだったが、正面にはゴールドの錨⚓をあしらった小さなマークを付けた🥳特急料金は金額が高いA特急料金を採用し、全車指定席であった🤑主に土日祝日に1往復する臨時列車と言う立場で、6両での運転であった。伊豆急下田行きの特急としては車両編成も短く、いろいろと特筆すべき点が多い列車であった。「マリンエクスプレス踊り子」は2020年3月8日に運行を終了した😱私は一度も見る事がなく、一応計画はあったが結果として記録(撮影、乗車)出来なかったのは痛恨の極みである😞

このように、車両、運行区間、サービス内容が異なる程度で、伊豆側の発着地点は原則として伊豆急下田駅としていた。輸送障害がある場合を除き、熱海、伊東、伊豆高原、修善寺と言った途中駅からの発着も原則として行っていない事も特筆すべき点である😲

【逆に「踊り子」と称していない列車は?🤔】

↑651系が伊豆への優等列車として活躍した事があった。但し非常に短命だった😫

2016年~2020年春にかけて運転された「伊豆クレイル」は、東京・横浜は発着とせず、小田原~伊豆急下田間を運行区間としていた🤩車両を大幅に改造し全車グリーン車指定席に変更し、SVOやサフィール踊り子以上に「車内で伊豆の旅行を楽しめる」ようにしていた😆車内で食事が楽しめるようにしたことが特徴。伊豆特急と特急踊り子の歴史の中では、相当変わり種の異色な列車だった😲また種別は快速で特急ではない事も大きなポイントだ。

しかし、2020年6月に引退する事が決まった😩たった4年しか走らず非常に短命であった😩実際にはCOVID-19の影響で2020年3月29日が最終運転となった😩そうなった理由は車両そのものの寿命で、同年10月には廃車解体となっている😫私は「伊豆クレイル」を一度も見る事がなく、気づいていたら消えていた😫今思えば記録(撮影)の1つくらいやっておけば良かった😞まさに痛恨の極みである😞

↑熱海駅の駅名標には「伊豆クレイルのマーク」(画像の右上、「函南」の文字の上)にあるが、今や(2021年)列車の運行自体がないので消されているのは言うまでもない😫この「伊豆クレイル」は「踊り子」と称していなかった😲

↑伊豆急行の「THE ROYAL EXPRESS」も「踊り子」と称していない😲これも厳密に言えば伊豆特急の1つであるが、「踊り子」とは切り離して考えるべきである。このことについては知っている読者諸氏の方が多いので細かくは説明しないが、東急が販売する旅行商品として運行する団体専用列車である😆「SVO」や「サフィール踊り子」以上に豪華な車内で、極端な話「一生に一度の体験をする」ための列車と言うよりは結婚式場のような壮大なパーティー会場と言える🥳

運行区間が横浜~伊豆急下田間となっているが、これは東急沿線からお客を集めて自社線とJR線の乗り換えが出来る横浜駅としているのだ。販売・サービス主体は東急が行っており、車両の保有は伊豆急行、単に走らせている(正確に言うと「線路を提供する」)のはJR東日本と伊豆急行と言う特殊な関係性を持っている点も、伊豆特急と特急踊り子の歴史の中では初めてである🥳「踊り子」とは全く別に設定された列車のため「踊り子ブランド」を付ける必要もなく、JR東日本にとっても付けてほしくない😒のが本音だったに違いない。

あくまでも東急が運営主体で、それに協力しているのがJR東日本と伊豆急行の立場である。これは伊豆での運転時の事である。この車両は2020年と2021年(予定)に北海道で運行するが、北海道まで車両を移動させるために、JR東日本(東北本線等)・IGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道・JR北海道(海峡線等)・道南いさりび鉄道が「線路を提供する」。車両を輸送するJR貨物、そして実際の営業運転ではやはり「線路を提供する」JR北海道の各社が協力しているに過ぎない😆もっともこれは東急とJR北海道の両社が熱望して実現した事である🥳

★185系の引退😭

↑1981年(昭和56年)から”伊豆特急の定番”として君臨し続けてきた185系も登場から40年が経過した🥳一般に鉄道車両の寿命は30年前後である😞前述の251系「SVO」は登場からキッカリ30年で引退した😭JR西日本や近鉄のように40年、50年使う事を前提にリニューアルを施す事例もあるが、185系も1995年(平成7年)~1999年(平成11年)にかけてそれが行われた🥳主な内容は座席の変更(転換式→リクライニング式)、外観塗装の一部変更などである。それでも基本的な面目は同じで、いわゆる「魔改造」は行われなかった😌

2010年代になると、同業者(鉄道ファン)の間では「いつ185系が引退するのか?」が関心事に🥳JR東日本としては185系の後継車両の新造と言う考えはなく、中央東線でE353系を導入する事になり、これで不要になるE257系0番台を「玉突き」と称する方式で伊豆特急に転用する事になった😲

JR東日本(若しくは国鉄東京南鉄道管理局や国鉄本社)の台所事情もあったのかもしれないが、E257系は中央東線→伊豆と言う歴史を持つが、逆に183系(特急あまぎ)は伊豆→中央東線と言うE257系とは逆の歴史を持つ😲鉄道友の会の例会で話があったのだが、「中央東線と伊豆特急は車両を共有している歴史がある」と言う指摘だった😲歴史は繰り返されたのだ😲中央東線ではE353系の導入が完了したが、15~20年もすればE257系は引退だろうからその時には新車を入れるのか🤔それとも中央東線からE353系が移籍して”また歴史が繰り返される”のか🤔伊豆特急がE257系に変わっても注目すべき事は多い😆

E257系の伊豆特急への移籍については、そのまま転用させるのではなかった😆今の時代にあった改造、すなわち、電源コンセントの設置、Wi-Fiの設置、座席構造の変化、外観の変更などである。もし運営主体がJR東海だったら、塗装デザインも変えずに中央東線時代と変わらぬ形で「新型車両」と称して移籍していたかもしれない😒JR東日本は各特急で独自のコンセプトを打ち出す方針で、デザイン、車両形式なども統一性はないが、基本的な性能や使い勝手と言った部分については、車両の製造時期によっても多少の差はあるがほぼ統一されている😌一応改造はされたが、面目は中央東線の時代と同じで、やはり「魔改造」とは言えないレベルであった😌

これにより、185系の引退が正式に決定した😭2020年(令和2年)3月のダイヤ改正から一部の「踊り子」がE257系2000番台(9両)で運行開始🥳少しずつではあるが、40年活躍した185系に大きな変化が生じた歴史的な事になった😲

日本国有鉄道が消えてから34年が経過し、いわゆる「国鉄型車両」がどんどん引退し、今やJR東日本が保有する特急車両で「最後の国鉄型特急車両」となってしまった😞JR全体で見れば、北海道のキハ183系、西日本の381系、四国のキハ185系などが残るものの、比較的車両の寿命が短いJR東日本にとっては40年と言う期間、ほぼ変わりなく活躍できたのは奇跡と言わざるを得ない🥺

E257系2000番台と2500番台が全て揃う2021年3月13日以降は、185系の定期運転が終了した😭車両の寿命を迎えているため、今後段階的に廃車解体となる見込みである😭私としては、大井川鐡道、長野電鉄、富山地方鉄道、えちごトキめき鉄道などの私鉄が185系を買い取って、イベント列車(普通列車に転用しても良い)で走ってくれれば・・・と思う今日この頃。それには費用、安全面などで難しい所はあると思うが、このような夢も見たくなる🥺

★E257系2000番台・2500番台が登場🥳定番の「踊り子」は全車指定席のスワローサービスが始まった😆

↑2021年(令和3年)3月13日のダイヤ改正で、特急「踊り子」は全てE257系での運転となった😲9両の2000番台、5両の2500番台の2種類で、前者は伊豆急下田発着、後者は修善寺発着となった😆

大きな変化としていわゆる「スワローサービス」が始まった😆すなわち、全車指定席になり、自由席が消滅した😫熱海駅などでの新幹線との特急券が割引になる制度も同時に廃止となった😒その一方で特急料金は若干の値下げ(乗車区間によっては高くなる事もある)を行い、発車直前までインターネット上から指定席の予約が出来るようになった😆

これは時代に合わせた内容で、今や駅の有人窓口に何分も並んで買う事は昔の姿になったと言える。スマホやパソコンを使い「えきねっと」への会員登録とクレジットカードが必要になるが、それさえあればわざわざ駅に行く必要がなくなった😆

それどころか「紙のきっぷ」を受け取る必要がなく、乗車券はSuica等の交通系ICカード、特急券はスマホ画面に特急券情報を表示(パソコン版では非対応😒)すればチケットレスで特急「踊り子」に乗れるようになった😆このような進化が1928年(昭和3年)に東京から熱海への優等列車が登場した時に誰が想像したことであろうか🥺

同改正では伊豆特急はかなり整理された印象で、定番の「踊り子」と豪華な「サフィール踊り子」の2本立て😆「THE ROYAL EXPRESS」は別としても、それ以外に「〇〇踊り子」と称する乱立した列車は消えてしまった😱これは利用状況やJR東日本や伊豆急行などが展開する旅行キャンペーンで大きく左右しているのではないか🤔次回それをやるとなったら、今度は別の車両による「乱立した踊り子」が登場するに違いない😆

いずれにせよ、今後も特急「踊り子」の歴史展開は注目したいし、楽しみも多い😆

15回目に続く(下記リンクをクリック、5月21日公開)

【2021年2月撮影記/熱海駅のTOICA専用改札機/臨時の特急踊り子E257系を撮る】特急踊り子を追いかけた⑮

広告
広告
広告

KH8000

ご覧くださいまして、ありがとうございます。 当ブログは鉄道・バス・ヒコーキ・船について、読者の皆様が”乗りたくなる”公共交通機関の魅力をお伝えします。 実際に私が乗った時・撮った時の感想などについて「乗車記」「撮影記」として、各地の秘境駅や注目の鉄道駅に直接訪問し現地で知り得た事を「現地調査」として、”他所よりも詳しく”、鉄道系YouTuberに負けぬほどの勢い・情報量・知識・感動体験を当ブログでお伝えします。 私はJR全路線全区間乗車(JR完乗)済みで、鉄道友の会の正会員(一応某支部の幹部・撮影会などの行事についても詳しくお伝えします)です。当ブログのフォロー(ブックマーク)は誰からも大歓迎です。

おすすめ

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。