【2020年3月乗車記と乗り歩き/複雑な歴史的経緯がある日田彦山線小倉→田川後藤寺を謎の車両キハ147で】JR完乗を目指せ!㉙

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2020年3月乗車記と乗り歩き。日田彦山線の乗りつぶし・完乗を行う!車両はキハ47ではなくて謎の車両キハ147!?城野駅からは左に大きくカーブして日豊本線と分岐。実はこれには複雑な歴史的経緯があった。日田彦山線の車窓にはボタ山、スイッチバック、レンガ造りのトンネル、平成筑豊鉄道と並走と実に充実している!その理由を探ると興味深い

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前回までの続きは下記をクリック 

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【乗車日】2020年3月21日(土)

【列車番号】947D(日田彦山線田川後藤寺行き)

【時刻】小倉(JI01)12:46→田川後藤寺(JI14)13:49

【車両】キハ147-1032+キハ147-91

★2020年3月乗車記と乗り歩き。キハ47ではなくてキハ147で日田彦山線へ

↑小倉駅には4つの駅番号(駅ナンバリング)が入る。

↑小倉からは日田彦山線経由で夜明を目指す。日田彦山線は日豊本線と分岐する城野駅から久大本線と合流する夜明駅までだ。全線が非電化単線となっているが、2017年7月の九州北部豪雨の影響で途中の添田駅から夜明駅までは列車代行バスによる運行となっている。これについては別の回で述べる。

キハ147-91

と言う車両。元々はキハ47なのでは??と疑問に思う。簡単に言うとエンジンを乗せ換えてパワーアップさせた車両である。従来のタイプとは区別する必要があるため番号を変更。元々の形式であるキハ40・キハ47形をプラス100した。とは言っても中にはエンジンを乗せ換えずにパワーアップしたり、エンジンを乗せ換えてパワーアップしているのに、キハ140・キハ147形と称していない車両(主にキハ40-8000番台等)もある。JR九州のキハ40・47の諸元は複雑な歴史を持つため”みな”まで説明はしない。つまり、これから日田彦山線で乗るキハ147-91はパワーアップした車両と言う事だ。JR九州のキハ40・47系列はほとんどがパワーアップした車両で、逆にパワーアップしていない車両は廃車が進んでいる。

↑パワーアップしたとは言ってもそれは走行機器だけの話で、車内は従来のキハ40・47系列と大きく変わらない。扇風機も残っており、夏場には使う事も出来るようだ。日田彦山線はワンマン運転であるため、途中城野までの日豊本線内でも例外ではない。キハ147-91は後ろ側の車両だったが、947Dの車内は前側のキハ147-1032の方が混む。小倉駅を発車。線路は日豊本線と共用しているため、特急ソニック等の速い列車が通らないタイミングを狙って、日田彦山線のキハ147も通らせてもらう。

★複雑な歴史的経緯により成立した日田彦山線

↑城野(JI04)では12:57~13:06まで止まる。ここまでが日豊本線で、この先が本来の意味での日田彦山線が始まる。城野駅周辺は結構規模が大きな街で、特急ソニックを止めても良さそうな感じがする🙄947Dの場合必ずしも小倉から乗らなくても良いダイヤであった。13:02に中津行き快速2541Мの813系1100番台と接続。2541Мに乗れば小倉に約8分長く居る事が出来る。

↑城野駅を発車。日田彦山線は専用の単線線路に入り、日豊本線から分かれる。大きく右にカーブする。日田彦山線は複雑な「歴史的経緯」を持つ路線である。さらに今後添田~夜明間でもそれが追加されようとしている。これについては後日書く当該区間の乗りつぶし・完乗の記事に譲る。

今でこそ城野駅からが日田彦山線であるが、かつては「添田線」→「日田線」と称しており、彦山・夜明方面へ向かう「彦山線」と統合する形で「日田彦山線」と称するようになった。元々の「添田線」→「日田線」は東小倉駅が北九州市側のスタート地点であった。同駅は孤立した駅で当時あった西鉄北九州線(路面電車)で乗り継ぎが必要だったという。この当時日豊本線とは接続していなかった。城野で日豊本線と接続させるため、1956年に石田との間に連絡線を作った。これが今でも使われていて、その際に「日田線」になった。一方で東小倉~石田間については1962年に廃止となった。「添田線」については別の場所でも登場してくるが、これについては今回記事の後半で改めて述べる。

大きくカーブして少し進んだ所にある石田駅(JI05)は新しい駅舎。志井公園(JI06)はスーツケースを持った若者がまとまって乗る。急な谷(造成地)の中にある駅であるが、なぜこんな所から乗るのか?疑問であった。スーツケース+若者=都会的な場所と言う場所に駅が立地してそうな感じがするが、車窓から見る限り必ずしもそのようには見えない。どうやら北九州モノレールの企救丘(きくがおか)駅が近くにあり、これとの乗り換え客なのであろうか?このあたりからは都市的な風景が急に終了してしまい、九州らしい田舎の風景に変わる😆E3九州自動車道?をアンダーパスして志井(JI07)に着く。

↑志井~石原町(JI08)

↑石原町~呼野(よぶの、JI09)

山が削らている😖これは「ボタ山」と言われるもので、昭和の時代に筑豊地方では多くの鉱山から鉱物(石炭や石灰石)が産出していたが、この跡なのだ。ほとんどは閉山したとしているが、今でも操業している鉱山はあるのだろうか?いわゆる「ハゲ山」は全国的に見ることが出来るが、これは木の伐採によって生まれたもの。それに足して「ボタ山」は山自体を”くり抜いて”生まれているため、元鉱山(若しくは現役の鉱山)でもない限り、見ることが出来ない姿だ。「ボタ山」は今後自然と元に戻るのであろうか?疑問に感じる事がタップリある車窓だ。

呼野駅。元々線路があったと思われる土地が残っている。現役のホームから駅の出口まではやや離れている。1990年代までは木造駅舎があったが、今は撤去され待合室だけとなっている。かつては福岡県内では唯一スイッチバックが出来た駅でもあったという。1960年代までは石灰石輸送の貨物列車が存在し、今は使われなくなったので更地化したと言うものであった。あくまでも現役鉄道施設は「必要なものしか使っていない」のだ。この先の田川後藤寺方面に対しては、金辺峠(きべとうげ)まで17‰の勾配で、SL(蒸気機関車)があった時代には一旦400メートルほど後退した後に加速していたが、1970年代には列車が全て気動車になったため、スイッチバックの必要性がなくなり、1983年にスイッチバック機能そのものが廃止されたという。

※参考文献=Wikipediaの「呼野駅」の項目

次の採銅所(さいどうしょ、JI10)駅までは約5キロもある。この区間の日田彦山線にしては駅間距離が長くなる。日田彦山線は金辺峠越えは「金辺トンネル」(1444メートル)があるためだ。北九州市は呼野駅までで行政区分名も変わってしまう。鉄道的には駅名標に「九」(北九州市内の駅と言う意味)のマークが呼野駅まではあるが、峠を越えて次の採銅所駅は香春町(かわらまち)に所在するため、このマークは消える。「鉄道ジャーナル2019年9月号」の39ページに「金辺トンネル」の写真が乗っているが、レンガ積みの歴史ある建築物だ。トンネル断面自体は複線分確保されているとの事だが、車窓からはその旨はわからない。「金辺トンネル」が北九州と筑豊の生活圏、文化、経済を分けるともいわれており、日田彦山線の旅客流動もここを境に大きく変わる。すなわち呼野までは小倉・城野方面への利用が多いのに対して、採銅所からは逆に田川伊田・田川後藤寺方面への新たな流れが始まる。わずか1キロ半ほどのトンネルがあるおかげで、利用者層の多くを変えてしまっているわけで、このトンネルを過ぎて北九州市内と田川後藤寺方面を”通し”で利用するお客は必然的に少なくなる。

↑採銅所駅では小倉行きの952Dと交換する。日田彦山線はキハ47・キハ147系列の車両が全てだ。車両は老朽化が進んでおり、遠くないうちに新車に変わるはずだ。それは長崎で登場したばかりのYC1系(イカ釣り漁船・パチンコ屋)や他線から移籍してきたキハ220となるだろうか?それにしても線路の状態は良いとは言えない。「ガタン!ゴトン!」と車両全体がバウントしたような揺れになる。車窓撮影やメモをする事自体が大変だ😖

香春(かわら、JI11)が到着。香春町の中心部で車窓からは菜の花が目立つ。いかに温暖な地域の3月らしい姿だ。周辺は「工場美」となっているようで、日田彦山線の車窓からも確認出来るらしいが、私が見た限りその姿を見ることは出来なかった。以前はセメント工場が香春町を支えていたが、業績悪化により最終的には撤退。2004年から地元資本により山上で採掘のみ続けているという。

香春から先で登場する鉄道は「田川線」。これは今の平成筑豊鉄道(へいちく)の事である。香春・田川一帯の鉱物輸送は、直方→黒崎経由で若松まで持って行きそこで船に積み替えるものと、「田川線経由」で行橋に出てそこから苅田港まで持って行きそこで船に積み替える2つが存在した。2020年現在はこの経路の貨物輸送は消えている。セメント工場の中には専用線があって、今の日田彦山線城野方面と「田川線」が接続していたという。今ではとても想像出来ない場所に網の目のように鉄道があったのが日田彦山線や筑豊本線の路線群。メインは貨物輸送で、旅客輸送は”おまけ”のようなものだったのかもしれない。

↑香春~一本松

一本松(JI12)は香春町の中心部の続きと言った感じで、ホームは単式となる。次は田川伊田(JI13)であるが、乗っていると気づかないがこの先は遠回りのルートになる。最終的には日田彦山線を乗り継げば添田に行く事が出来るが、正確には香春~添田間をショートカットする目的で1985年までは「添田線」があった。同区間は日田彦山線と比べて4キロ短い。一本松駅は1997年に出来た駅で、この駅付近で今の日田彦山線と分岐していた。「添田線」の歴史的なものを見ると、1942年に廃止した「一本松停留場」もあったというが、今の一本松駅とは場所が異なるという。

↑左側から線路が1つ増えてきた。これが「田川線」である。すると写真のような駅を通過する。駅名が不明である。JR九州の駅ではないので当然通過なのであるが、この駅は日田彦山線専用の線路があるのか?それとも平成筑豊鉄道と共用なのか?気になる所ではある。

↑田川伊田駅ではまとまってお客が下車した。平成筑豊鉄道「田川線」(行橋方面)と「伊田線」(直方方面)との乗り換え駅でもある。

↑田川伊田駅を発車すると車内は貸切状態になった。とは言っても1駅分だけだが。

↑田川後藤寺駅の構内は広すぎる!これもかつての貨物輸送の名残だと言う。田川後藤寺駅は平成筑豊鉄道糸田線(金田方面)に加えて後藤寺線(JJ、新飯塚方面)とも乗り換えが出来る駅だ。小倉からの日田彦山線のほとんどは田川後藤寺駅までの運転で、添田方面に向かう場合は乗り換えが基本だ。

今や日田彦山線はJR九州の中では比較的地味な路線であるが、「日田彦山線」として成立する歴史的経緯や国鉄時代に複雑に構成していた路線群を勉強すると興味は尽きない。上記で述べた事はあくまでも活字ベースで知った事なので、その当時の写真や映像があれば観てみたいと思った。だが、「日田彦山線」の歴史が現状の維持のままなのか?と言うとそういう意味でもない。田川後藤寺から先は同線の歴史上最大級の転換点を迎えようとしていた。次回はその”序章”ともなる、田川後藤寺~添田間を見てみた。

※参考文献=鉄道ジャーナル2019年9月号、鶴通孝著「日田彦山線栄枯盛衰」

30回目に続く(6月21日公開、下記をクリック)

【2020年3月乗車記/まるで”別人”!複雑な歴史がある日田彦山線田川後藤寺→添田/列車代行バスが止まっていない!】JR完乗を目指せ!㉚

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