【開業から廃止まで88年の栄光の歴史】三江線廃止までの”参考”になる記録㊵

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改めて三江線の歴史を振り返る事にしたい。1930年~2018年にかけて活躍した三江線88年の栄光の歴史とは?戦前に江津から浜原に向かって開業しこちらを「三江北線」と称した。戦後に三次から口羽まで開業しこちらは「三江南線」と称したが、線路規格は国鉄としては異例の低規格だった。果たしてどんな歴史があるのだろうか?

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前回までの続きは下記をクリック

JR西日本が三江線を廃止した理由

【まずは尾関山駅へ】三江線廃止までの”参考”になる記録①

【2016年3月の乗車記と車窓422D三次→浜原/単行でもお客はたったの5人】三江線廃止までの”参考”になる記録②

【2016年3月の乗車記と車窓422D浜原→江津/わずかな人しか乗らない】三江線廃止までの”参考”になる記録③

【2017年3月再び尾関山駅へ】三江線廃止までの”参考”になる記録④

【2017年3月乗車記/432D尾関山→式敷/大混雑429D式敷→三次】三江線廃止までの”参考”になる記録⑤

【2017年3月乗車記/廃止決定後の422D三次→口羽は早朝でも空いていない!】三江線廃止までの”参考”になる記録⑥

【乗車記/初めて行った天空の駅宇都井駅】三江線廃止までの”参考”になる記録⑦

【2017年3月乗車記/普通列車も通過する長谷駅と三江線未来のために】三江線廃止までの”参考”になる記録⑧

【2017年3月乗車記/最混雑列車424D船佐→石見川本】三江線廃止までの”参考”になる記録⑨

【2017年3月乗車記/初めての石見川本駅のゴールデンタイム】三江線廃止までの”参考”になる記録⑩

【2017年3月乗車記/426D石見川本→川戸/川戸駅交換設備が消えた跡】三江線廃止までの”参考”になる記録⑪

【2017年3月乗車記/三次行きの最混雑列車?429D川戸→石見簗瀬】三江線廃止までの”参考”になる記録⑫

【2017年3月乗車記/430D石見簗瀬→江津の石見神楽トレイン】三江線廃止までの”参考”になる記録⑬

【2017年7月乗車記/夏に乗車してわかった事/レール温度上昇で運休?】三江線廃止までの”参考”になる記録⑭

【2017年7月乗車記/高速バス「石見銀山号」で広島から因原・石見川本へ簡単アクセス!】三江線廃止までの”参考”になる記録⑮

【2017年7月乗車記/因原駅に三江線と名乗る運送会社が同居】三江線廃止までの”参考”になる記録⑯

【2017年7月乗車記/因原→鹿賀を歩く。絶景!絵に描いた駅】三江線廃止までの”参考”になる記録⑰

【2017年7月乗車記/426D鹿賀→川平、哀愁ある駅川平、水分確保に苦労】三江線廃止までの”参考”になる記録⑱

【2017年7月乗車記/前面展望動画撮影人気列車?429D川平→浜原】三江線廃止までの”参考”になる記録⑲

【2017年7月乗車記/レール温度上昇で429D浜原→三次で遅れ発生】三江線廃止までの”参考”になる記録⑳

【2017年7月乗車記/三次周辺も明るい422D/宇都井でサービス停車】三江線廃止までの”参考”になる記録㉑

【2017年7月乗車記/江の川が手前にある潮駅/423Dで三次方面へ】三江線廃止までの”参考”になる記録㉒

【2017年7月乗車記/天空の駅宇都井に近鉄からのお知らせ?】三江線廃止までの”参考”になる記録23

【2017年7月乗車記/宇都井から徒歩で口羽へ…は無理で伊賀和志へ】三江線廃止までの”参考”になる記録㉔

【2017年7月乗車記/リアル鉄子登場!最混雑列車424D伊賀和志→石見川本】三江線廃止までの”参考”になる記録㉕

【2017年7月乗車記/規模縮小?石見川本駅のゴールデンタイム】三江線廃止までの”参考”になる記録㉖

【2017年7月乗車記/425D石見川本→粕淵/立派な街の粕淵】三江線廃止までの”参考”になる記録㉗

【2017年7月乗車記/浜原駅での連結作業を見る】三江線廃止までの”参考”になる記録㉘

【2017年7月乗車記/交換設備未使用の石見都賀/三次行き最終433D】三江線廃止までの”参考”になる記録㉙

【2017年11月乗車記/名古屋から高速バスで出雲→山陰本線アクアライナー→江津から歩いて江津本町と千金に】三江線廃止までの”参考”になる記録㉚

【2017年11月乗車記/空いている425D千金→石見川越/石見川越駅前に郵便局】三江線廃止までの”参考”になる記録㉛

【2017年11月乗車記/石見川越~鹿賀~因原を徒歩で】三江線廃止までの”参考”になる記録㉜

【2017年11月乗車記/最も混む列車429D因原→三次/着席可能な状況】三江線廃止までの”参考”になる記録㉝

【2017年11月乗車記/最も混む列車424D発車前の三次駅の様子・9時に来れば良い】三江線廃止までの”参考”になる記録㉞

【2017年11月乗車記/最も混む424D三次→口羽/途中駅から乗ろうとした旅行ツアー客に乗車拒否!】三江線廃止までの”参考”になる記録㉟

【2017年11月乗車記/最も混む424D口羽→石見川本/宇都井駅で下車が多く意外とお客が減ってきた】三江線廃止までの”参考”になる記録㊱

【2017年11月乗車記/バスが来ない!石見川本~木路原~竹~乙原の各駅を訪問】三江線廃止までの”参考”になる記録㊲

【2017年11月乗車記/列車が通る最後の宇津井駅INAKAイルミ@おおなん前編】三江線廃止までの”参考”になる記録㊳

【2017年11月乗車記/宇津井駅INAKAイルミ@おおなん後編】三江線廃止までの”参考”になる記録㊴

三江線は2018年(平成30年)3月31日(土)をもって、88年の鉄道路線としての使命を終えた。

◆なんで三次と江津を結ぶ鉄道が出来て開業から88年後に「廃止」になったのか?
◆鉄道が出来てからどのような出来事があったのか?

・・・簡単に振り返ってみたい。88年の歴史を終える三江線。どんな規模の鉄道であっても「廃止」と言う事実は非常に重く、悲しく、残念だ。

★貨物列車が止まっていた因原駅

↑今の因原駅。列車交換不可の構造で、使用されなくなったホームや駅名表は残っているが、線路は見えない。因原駅は1999年(平成11年)まで列車交換が可能であったが、列車本数減少やJR西日本の合理化等の理由で、交換設備を撤去。棒線化した。
『三江線88年の軌跡』の表紙をめくって最初にある写真が、1981年(昭和56年)に撮影された因原駅。これによると、DD16-51ディーゼル機関車を先頭にした貨物列車に、今は使用されなくなったホームと駅舎を連絡する跨線橋も。駅舎側にはもう1~2線程度線路が存在し、貨車も留置。今ではとても想像できない、「立派な駅」だった事が伝わる。1981年、そんなに遠くない昔である。貨物列車が三江線から消えたのは1982年(昭和57年)の事であった。

★一気に全て開通しなかった三江線。三江線北部(江津~浜原)は戦前に開通

大正時代末期まで江の川沿いの交通は、水運であった。言うまでもなく江の川に船を通して旅客、荷物の輸送を行った。
しかし、1925年(大正14年)に江の川上流に発電所と取水堰が作られた事で、水運による交通は出来なくなった。それよりも30年ほど前から沿線では、「江津~三次に鉄道を!」と言う訴えが地元が起きていた。鉄道建設のキッカケになったのが江の川の水運廃止で、水運の代替交通として鉄道になったと言って良いだろう。
三江線は民間資本による建設ではなかった。国頼みのもので、1920年(大正9年)に初めて建設予算が国会を通った。すぐに工事は始まらなかったが、山陰側から少しずつ作り出した。

1926年(大正15年)に石見江津(今の江津。1970年までは石見江津と称していた)から建設が始まり、1930年(昭和5年)4月20日に石見江津~川戸の13,9kmが開通し、初めて「三江線」と名付けられた。

↑川戸駅も棒線化された駅。今や1面1線しか使えないが、元々は2面4線もある立派な駅。

↑石見江津~川戸の中間に設置されたのが、川平。今も1930年開通時からの駅舎がそのまま残る。川平駅自身も88年でいろんな列車・人を見てきたが、近年の衰退ぶりをどのように思っているのだろうか?

1931年(昭和6年)5月20日には川戸~石見川越、1934年(昭和9年)11月8日には石見川越~石見川本(途中因原を開設)まで延伸した。石見川本まで延伸した時に気動車の運転が始まっており、旅客輸送の主体はこれだ。貨物輸送における無鉛化は遅く、蒸気機関車(SL)は1974年(昭和49年)まで残った。
1935年(昭和10年)12月2日には石見川本~石見簗瀬(途中乙原を開設)、1937年(昭和12年)10月20日には石見簗瀬~浜原(途中粕淵を開設)まで開通。
戦前の時点で、石見江津~浜原が開通したことになり、この部分を「三江北線」と言う。
三江北線の戦後は、駅の開設が主体で、1949年(昭和24年)11月15日に川戸~石見川越に田津、石見川越~因原に鹿賀が営業開始。

★三江線南部(三次~口羽)の建設開始は戦後。当時の国鉄線では異例中の異例だらけの事が多かった

それに対して三次からの三江線の延伸は遅かった。戦後10年が経過した、1955年(昭和30年)3月31日に三次~式敷が開通。これも運命なのか?この区間の廃止日も3月31日である。
当時石見江津~三次は1本のレールでつながっていなかったため、北側と南側で区別した路線名になり、北側は前述のとおりであるが、南側は「三江南線」と称した。

三江南線は戦前に工事開始。1936年(昭和11年)三次から現在の船佐付近まで約10km作ったが、1939年(昭和14年)の日中戦争の影響で工事中止。そのまま戦後になってしまった。
1952年(昭和27年)に三江南線建設の予算が通って、工事再開。
三江南線の当初開通区間には、尾関山、粟屋、船佐の途中駅を開設。この時点から尾関山周辺を除き人口が少なく、有人駅も尾関山のみ。当時では異例の終点の式敷を含めて残り駅は全て駅員無配置とした。
また、三江南線は最初から気動車による旅客輸送のみにした。貨物輸送は当初から実施していなかった。旅客輸送人数も少なかったため、小さい目の気動車が用意された。

式敷~口羽への建設はモメにモメた。詳細は『三江線88年の軌跡』に譲るが、江の川の電源開発を優先するのか?それとも鉄道を延伸するのか?地元等の関係者間で方向性が決まらなかったためだ。
最終的には鉄道を延伸する事にして、同区間の工事再開は1960年(昭和35年)までにずれ込んだ。
開通したのは1963年(昭和38年)6月30日で、三次~式敷で8往復/日、式敷~口羽で4往復/日で運転開始。

三江南線は全く異質の路線であった。地理的には沿線の山々が江の川に迫り、平地が少なく、大きな街もなく、人口も少ない。当時の国鉄では、無人駅は許されても、駅に行き違い設備なし、信号なし、運転専用電話(鉄道電話)なし・・・と言うのは異例中の異例であった。国鉄本社はもちろん、運輸省(今の国土交通省)からも”特認”と言う形で、開通させる事が出来た。

↑式敷駅

↑口羽駅

行き違い設備は最初からあったが、1線は使用停止としたため、実質的に三江南線は線内に1本の列車しか入る事が出来なかった。
例えば、三次を発車した列車は式敷や口羽で折り返して再び三次に戻るまでは、他の列車は1本も入線出来ない時代が1978年(昭和53年)頃まで続いた。
線路規格、線形、輸送量等は出来る限り「最少レベル」に抑えたのが三江南線の大きな特徴で、最初から「大量輸送」を目的としていない事がわかる。これが廃止までそのまま引き継がれる実態となってしまった。

★三江線中部(口羽~浜原)が高規格線路で工事開始し、三江線全通。三江北線着工から50年でいよいよ江津~三次が1本のレールで結ばれた

三江北線・三江南線と開通したが、本来の目的は石見江津~三次を結ぶ事なので、三江北線と三江南線の間を結ばないと、この目的を果たせなくなる。
当然、この両線を結ぶために計画がなされた。1964年(昭和39年)3月23日に「日本鉄道公団」が発足。新規の鉄道路線を作るための公的な組織で、同年の4月22日に基本計画として口羽~浜原を工事線に指示。つまり、口羽~浜原は日本鉄道公団の手で作る事が決定。
1965年(昭和40年)に着工。三江北線・三江南線とは比べようにならない高規格な作りで、53ヶ所の鉄橋、19ヶ所のトンネルで、高速走行が可能にした。
現状でも最高速度は85km/hで、一部徐行する場所もあるが、旧三江北線・旧三江南線区間のように30km/h徐行が長距離続くところが少ない。

1975年(昭和50年)に全ての設備が完成した。当時の国鉄米子鉄道管理局(以下、「米鉄局」と略)が三江北線と三江南線の両線を統合し、江津~三次の全線を「三江線」とする事を決めた。
江津~伊賀和志は米鉄局、口羽~三次は広島鉄道管理局の管轄する事も決まった。
必要な準備を行い、同年8月31日(日)に口羽~浜原の開通を決定。同区間は4往復/日の列車を設定し、江津~三次は3時間18分で結ぶ事も決めた。

三江線が全通するまで1924年の建設開始から50年もかかっていた。地元では親子三世代で鉄道の誘致や建設等の活動をしていたので、実質的には80年もかかったと言われている。

★1975年8月31日、三江線全線開通した日の乗車レポート

『三江線88年の軌跡』の筆者は、1975年8月31日(日)に当時新規開通した浜原→口羽の1番列車に乗車した。この際の乗車レポートも書いてあるが、この時の模様を簡単にまとめると以下の通りだ。

米鉄局では三江線全通の記念きっぷは特に用意していない。口羽までは普通の乗車券を購入。当時は有人駅で150円であった。
浜原駅では「祝 三江線全通」と書いた横断幕、世界各国の国旗(万国旗)が飾りつけられていた。万国旗は1990年代までお祭りごとや記念日に私も見た事が多々あったが、最近はめっきり見なくなった。

6:10発の341D口羽行き列車は先頭から、キハ17-290+キハ26-401+キハ25-45+キハ16-88の4両。「祝 三江線全通 50・8・31」と言うヘッドマークも付いていた。当時は元号表記が当たり前なので、冒頭の「50」とは昭和50年の事を示す。
341Dには多くの地元の人、米鉄局の関係者10数人も乗車。後ろ寄り車両のお客は数える程度で、早朝のため地元民の見送りも皆無。

「父祖3代にわたる80年の悲願が実り、工費120億円をかけた三江線は本日ここに全通の運びとなりました。心からお慶びを申し上げます。次は沢谷です。沢谷駅は旧沢谷村を駅名にしたものです。」(28ページの内容を抜粋)
と車内では案内された。これが車掌から?地元関係者から?詳細が書いていないのでわからないが、とにかく鉄道が新規開通するのは極めて喜ばしい事で、開通初日は、”お祭り騒ぎの記念日”なのが伝わる。

341Dは口羽に到着。反対側のホームには三次からの2342Dが到着。2342Dは口羽止まりで、浜原・江津方面を目指すお客が、341Dの折り返しとなる342D(口羽7:06発の浜原行き)に大量に乗り込んできた。
当時、口羽駅は浜原方面に対して直通運転が出来ない構造であった。これは信号システムの問題で、1978年(昭和53年)以降は直通運転も可能になったので、最初の3年間は口羽、浜原での乗り換えが必ず発生していた。

筆者は342Dに乗り浜原に戻ると7:53であった。すると、地元の人が大量に待ち構えていた。折り返しの343D(浜原8:34発の口羽行き)を対象に花束贈呈やブラスバンドによる記念演奏等の祝賀行事が行われた。これは口羽に限らず、宇都井、伊賀和志等の駅でも同じような祝賀行事が行われ、乗車率はどんどん上昇し、最終的には乗りきれない程のお客となった。

★三江線全通後から廃止に至るまでの簡単な流れ

三江線沿線では、これと言った集客施設等存在しない。地元客だけで鉄道を運営しないといけないが、これが少しずつしんどくなる。
1980年代には夏休みに小学生を対象に広島・岩国から仕立てた臨時列車が走った。これは三江線沿線における”林間学校”に参加するためのもの。快速や「SL江の川」(1992~1997年)も運行されたが、いずれも短命で終わっている。急行や特急が定期列車として運行された実績は皆無で、最後まで「陰陽連絡」の使命を果たせなかった、悲運の路線とも言えるだろう。
悲運と言うとロケーション。三江線側は主要県道も”険道”と言える状況で、空き家が目立ち過疎化も深刻なのに対して、江の川対岸は国道がとおり交通量も多い。「もし三江線が国道と並走する形で通っていれば・・・」と思うと、運命は違ったのかもしれない。三江線の通っている場所がとにかく悪すぎる。

三江線では「お召し列車」の実績はないが、皇族方が乗車された事はある。1982年(昭和57年)9月13日に、島根県開催の国体のカヌー競技をご観戦後、今の平成天皇ご夫婦が、粕淵→江津まで約90分、三江線の一般列車にご乗車された。その事を知った一般客もこの列車に乗車が殺到し満席だったと言う。
皇族方が一般列車の自由席に普通に乗車されるのは、今では考えられない事で、「治安や世の中が平和だったんだ」と私は思った。

1987年(昭和62年)に国鉄が民営化されて、JR西日本が引き継いだ。国鉄末期には地方路線の廃止が相次いだが、三江線は廃止される事なく、なんとか継続できた。
JR時代になるとワンマン運転の展開が始まる。三江線では1989年(平成元年)からで、JRグループ全体で見てもワンマン化は最初の頃である。

↑1994年(平成6年)にはキハ120形300番台による運転も開始。江津~口羽で最大20分、平均6分も時間短縮。全て単行(1両)で、完全冷房化も実現。
1996年(平成8年)までには、全列車のワンマン化されて、三江線から車掌が消えた。(超例外的に車掌が乗る事もある)
2001年(平成13年)には、口羽~三次が広島支社から米子支社に移管されて、全線が米子管理に変わった。

利用者数は1990年代前半から徐々に減少し、2010年代には約8割もお客が消えた。近年は自然災害が頻繁に発生し、事故のリスクや復旧時の費用負担が重く、抜本的に解消するにはハード面で多額に費用をかけて改修する必要がある。
そして何よりも輸送密度が100人/日を切ってしまい、鉄道として残す意味がなくなってしまった。
しかも、三江線沿線は深刻な過疎化が進行し、これ以上お客が伸びる要素もなく、「三江線の使命は終了した」と判断。2018年3月31日(土)に鉄道として廃止する事になった。

41回目に続く。

【基本的に立入禁止に…廃止後の線路・駅と言った施設はどうなるか?】三江線廃止までの”参考”になる記録㊶

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