【人気ブログとはどういう定義?】ザ・ブログ論⑥
巷で言う「人気ブログ」とはどういう定義なのか?アクセス数の多さ、検索ワード・検索エンジンで上位表示、収益が多い、コメントが多い、シェアが多い、良質な記事・役に立つ事を書いている・・・が三位一体でなければならないのか?思った事を書いてみよう
もくじ
★人気ブログの定義とは?
例えば書籍、雑誌、テレビ番組、ラジオ番組等のキャッチコピー。
毎日○万人が見ている超人気ブログが書籍化!
SNSのフォロワー数○○万人の××(著者名)の人気ブログが待望の書籍化!
○○(商品名)が××万個も売れた大人気商品の生みの親が全てを語る!
などなどあるわけだが、そもそも「人気ブログ」とは一体どんな定義なのか?
① #アクセス数 が多い、#検索ワード #検索エンジン 上位に表示、収益が多い ② #コメント が多い、#シェア が多い ③ #良質な記事 #役に立つ 事を書いている 三位一体全てその通りである事が条件。
つまり①~③の事が全て満たしている事が好ましい。「その通りであることが条件」と記したが、これは訂正したい所があって、中には①だけ、②だけ、③だけと言うブログも「人気ブログ」になる事はあり得るし、むしろそれが少なくない事だ。特に②は有効で、それだけ「常連客」が多いのでお客からの要望で商品化(書籍化、製品を形にする)されやすい。すなわち、「客受け」が良ければ、アクセス数やコメント数と言った「数字」が少しくらい悪くても、「人気ブログ」と称する事はありえる・・・と私は思っている。
★本当に読まれているのか?
アクセス数の解析は行っているので、今日は○件あったと言う事は把握している。あくまでもそれは「数字」として。しかしそれだけの数読まれているのか?と言う「実感」が湧かないのも事実。「実感」が湧くには、読んだ人がコメントで残す、書き手がわかる形でシェアする、商品を売っているならば商品を買ってくれる・・・と言う事がないと「実感」が湧かない。
単にアクセス数が多い・検索エンジンで上位に表示されやすい≠「実感」
アクセス数が多くても、コメント・シェアが0件と言う事は理論上あり得るし、私もそのような経験を重ねてきた。ぶっちゃけ、アクセス数を増やすために検索エンジンで上位に表示される”操作”は容易に出来るし(但し一定の条件あり)、それで広告収入等で”荒稼ぎ”して金持ちになる事だって出来る。仮に検索エンジンで1位になっても、コメントやシェアが殺到する事もない。アクセス数と言う数字が多くても「実感」は比例しないのだ。
「本当に読まれているのか」と言う疑問が生まれる原因が、「実感」がないわけで、仮にアクセス数が少ない・検索エンジンで上位に表示しなくても、コメント・シェアが多いのであれば、「実感」すると私は考えている。そのようなブログは山ほどあって、むしろこういうブログこそが「人気ブログ」なのかもしれない。
★コメントをする人の心理
書き手に対してどのように読んだ人が感じているのか?によって変わってくるのが「コメント」である。企業における「お客様からのご意見」でもそうだが、だいたいは「お褒めの言葉」をいただく事は少ない。ほとんどは「苦情」である。どの企業の話か?忘れたが、コールセンターにかかってくる電話のうち、8~9割は苦情で、残りの1~2割は一般的な問い合わせ。お褒めの言葉もなくはないが、ほとんど来る事はないと言う。
これはブログのコメントでも同じ事。コメントした人の肯定的な感想、過去の経験談からの思い出話も少なくないが、企業のコールセンターと同じくコメントとして付く事が多いのがやはり「苦情」「荒探し」「間違えの指摘」である。私の主観的なものになるが(具体的な統計は取っていない)、当ブログに来るコメントのうち、感想や思い出話は2~3割程度で、残りの7~8割程度は苦情、荒探し、間違えの指摘である。これはテレビ・ラジオ・雑誌社、Youtube動画のコメントでも同様であろう。
コメントする人の心理としては、「褒める」よりも「悪口・苦情・荒探し」を書いた方が楽なのだ。それを書いてストレス発散・憂さ晴らしをしているのだ。所詮今の社会はそんなもんだと思っている。日本人は、「褒める」と言う行為が苦手。プラス評価できないと言う国民性で、今やパワハラやセクハラ等のハラスメントが横行して、社会問題化しているのだ。逆に「褒める」と言う行為が得意な国民性であれば、そもそもハラスメントなんて起らないし、ブログコメントやコールセンターには苦情だらけとはならないのだ。一方で、「間違えの指摘」は必ずしも苦情とは言えず、むしろこれは「褒める」に近い所があるのではないか。指摘の書き方によっては苦情と捉える所も多々あるが、書き方によっては褒めることにも変身する。
★今知っている事、今わかっている事を”無修正”でそのままブログに書く
今知っている事、今わかっている事を”無修正”で書く。それがブログの醍醐味だ。世の中的には「大人の事情」、「暗黙の了解」、「放送コード(放送禁止用語)」等の理由で、それが本当の話だとしても、書けない事が少なくない。それを無視して書こうものならば、「週刊文春」みたいな暴露合戦になって、世間の悪い所を質す事になる。「週刊文春」を擁護するわけではないが、今知っている事、今知っている事を”無修正”でそのまま記事に書いているに過ぎないのだ。ブログもそれで良いのだ。
誤解してほしくないのが、何が何でも書いて良いか?と言うとそうではなくて、守秘義務的なもの、個人情報が絡むもの、後日情報は公開するが情報公開日以前の公開については、そのルールを守らないといけない。それが前提だ。
当然書く事には「誤りを含む事」は多々ある。完璧に誤りなしで書け!と言う超ハイクオリティー的な事は、商業誌である新聞、雑誌、書籍やテレビ、ラジオ、通信社であっても、難しいと思う。天下の大新聞でさえも誤報は過去にいくらでもあったし、誤報があれば訂正と修正をすれば良い。細かく調べてブログ・記事にするようにしているが、それでも調べる事が出来る内容・情報源・取り上げるべき内容には限界がある。1から99まで全てを精査する事は現実的に不可能。それは前述の商業誌やテレビ等のマスコミでも言える話。
つまり、今知っている事、今わかっている事を「そのまま書いてしまえば良い」。その意味が”無修正”だ。今知っている事、今わかっている事がウワサレベル、信憑性が低い、事実とは思えない、根拠が乏しい等の「誤りが含む可能性がある」と判断した場合には、記事にはしていない。とは言っても「誤りを含む可能性がある」内容を記事にしたい場合は、冒頭で
誤りを含む可能性がある
正しいとは限らない
ウワサなので
誤りがあれば指摘されたい
と断った上で、書いている。とは言っても私の認識不足等により、そういう断りがなくても、書いている事自体誤りだったりする事もある。基本的には、各種公式サイト・文献等による確認、世間一般的に広く報じられた内容からの引用、私自身が体験する事で知り得た情報を基に書いている。正しい見識を得るには、日々の積み重ねが重要なのだ。今わかっている事、今知っている事により、その見識の中から記事にしている。
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