【2017年3月乗車記/三次行きの最混雑列車?429D川戸→石見簗瀬】三江線廃止までの”参考”になる記録⑫

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2017年3月乗車。午後の最混雑列車なのが429Dの三次行き。だが前日は利用状況が異なっていた。川戸駅から石見簗瀬駅まで乗車。石見梁瀬駅に降りると、どうみても列車交換が可能な構造に見えたが、典型的な棒線駅であった。だが駅の作りとしては面白い石見簗瀬駅。使われていない線路も残っていた

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前回までの続きは下記をクリック

JR西日本が三江線を廃止した理由

【まずは尾関山駅へ】三江線廃止までの”参考”になる記録①

【2016年3月の乗車記と車窓422D三次→浜原/単行でもお客はたったの5人】三江線廃止までの”参考”になる記録②

【2016年3月の乗車記と車窓422D浜原→江津/わずかな人しか乗らない】三江線廃止までの”参考”になる記録③

【2017年3月再び尾関山駅へ】三江線廃止までの”参考”になる記録④

【2017年3月乗車記/432D尾関山→式敷/大混雑429D式敷→三次】三江線廃止までの”参考”になる記録⑤

【2017年3月乗車記/廃止決定後の422D三次→口羽は早朝でも空いていない!】三江線廃止までの”参考”になる記録⑥

【乗車記/初めて行った天空の駅宇都井駅】三江線廃止までの”参考”になる記録⑦

【2017年3月乗車記/普通列車も通過する長谷駅と三江線未来のために】三江線廃止までの”参考”になる記録⑧

【2017年3月乗車記/最混雑列車424D船佐→石見川本】三江線廃止までの”参考”になる記録⑨

【2017年3月乗車記/初めての石見川本駅のゴールデンタイム】三江線廃止までの”参考”になる記録⑩

【2017年3月乗車記/426D石見川本→川戸/川戸駅交換設備が消えた跡】三江線廃止までの”参考”になる記録⑪

【乗車日】2017年3月20日(月)

【列車番号】429D(三次行き)
【時刻】川戸15:45→石見簗瀬16:48
【車両】キハ120-317+キハ120-357(米ハタ)

【備考】時刻、描写等は全て当時のもの

★両数が増えても使用する車両数は最小限。前日大混雑した429Dに再び乗る!

↑やってきた車両は424D~426Dと全く同じ車両。426Dが江津行きとして運行され、折り返し列車として429D三次行きとなった。当然運転士も交代している。
同じキハ120でも番号違いの車両にたまには乗りたいと思ったが、列車1本あたりの両数が増えても使用している車両数は必要最小限であった。この車両の運用としては下記のような形になろう。

(1日目)
423D(江津5:53→三次9:21)→424D(三次10:02→石見川本12:18)→426D(石見川本13:45→江津14:54)→429D(江津15:15→三次18:59)→436D(三次19:34→浜原20:57)

(2日目)
420D(浜原6:20→江津8:12→浜田8:51)

429Dで三次到着後からは私の予想になるが、前日の429Dと421D(浜原5:56発の三次行き)が異なる車両であったため、436Dとして運用された場合、翌日は420Dになると思われる。
運用パターンとしては、422D(三次5:38発)で浜田入庫するものもあるため、他にももう1パターンあるはずなので、合計で3運用で足りる。
最少は3両(全列車単行と仮定)で三江線の日々の列車を動かす事が出来ると考えれば、燃料代等の必要経費も本当にギリギリのレベルで、これ以上減らす事が出来ない事態になっている。
お客が増える見込みがなく、これ以上減らせないので廃止するしかないと言う結論に至った・・・と考えるべきだろう。

さて、429Dの車内を完全描写したい。
川戸からは私を含めて5人ほど乗ってきた。昨日の429Dはつり革が全て埋まるほどの大混雑であったが、この日は空席が多少目立つ程度で、任意的に立っているお客を除きほぼ全員着席出来るレベル。
同業者(鉄道ファン)はかなり少なく、地元利用が圧倒的多数。これが本来あるべき姿でないといけないが、それが長年出来なかった事が廃止の直接的な原因であることを忘れてはならない。

整理券を取って乗車すると

「今日もJR西日本をご利用くださいまして、ありがとうございます。次は○○」

と言う放送が入るが、乗車が皆無の駅(整理券が取られないと)

「次は○○・・・」

とすぐに駅名連呼になる。どうやら、整理券を取ると放送パターンが変わるらしい。
田津は崖に面した駅で1人下車。
424D~426Dに引き続き、JR西日本の背広氏が乗車しており、やはり利用調査か?
別の人に変わっていたので、背広氏の行路としては429Dで三次へ行き、一泊した翌日は上記列車で戻るのであろう。
三江線は米子支社の管轄で、広島支社管内の三次で勤務終了は考えにくい。

鹿賀は大きな道があって、川の土手を工事していた。水利対策か、水防対策か、詳細は不明であるが江津本町に似た待合所がある駅で、サクラの木もあった。ここも降りてみたい駅と思った。この駅は次回行ってみたい次第だ。
因原では三江線では珍しくロードサイド店や団地が多い地域。ちょっとした”都市”である。中国地方に多いコンビニ「ポプラ」は看板がローソンに変わった事に気づき、一応はポプラの名を残していた。
元々交換が出来た駅で、趣がある。やはりここも次回は行きたい駅だ。

運転室の様子を見てみた。キハ120は半室しかないため、面積としては広くない。
車両の応急マニュアルや全国版の時刻表に加えて

「三江線は携帯電話を掲出の事」

の表記もあった。山間部では列車無線が通じないため、業務用携帯電話を活用して輸送指令と連絡を取るようだ。

石見川本では交換列車なし。数人の乗り降りがあったが駅員がいないらしく運賃は車内での取り扱い。12~14時とは異なりすっかり静まり返っており、すぐに発車。
竹は本当に何もない駅。クルマで来たとしても置く場所がないのではないか。対岸には大きな橋があるくらいであった。

★意外に見逃す面白い駅!石見簗瀬。本当は列車交換が出来るのではないのでは?

429Dは石見簗瀬で下車。下記の写真を見てほしい

↑島式ホームと誤解するほどの作りだ。現在は棒線駅になっているが、昔はご覧のとおり列車交換が可能であった。
駅舎側は元々線路があったが、今は剥がし取られスペースだけが残るだけ。江津方の分岐器があった所付近には、今でも線路があって、ATSの地上子も残されていた。当然このATSは機能していない。

「元々列車交換が出来た」と駅自体が自らアピールしているもので、こんなにもあからさまに残っている事が珍しい。
現実的に見れば、棒線化もコストがかかるので不要な設備の撤去は最小限に抑えたのであろう。

↑棒線化された部分の”元線路”はお客が転落しないように花壇で遮っていたが、この時咲いている花は皆無。
縦書きの駅名表が何本か出ており、なかなか豪華なものだ。

↑石見神楽の演目に従った愛称名は「岩戸」であった。

↑三次方から駅舎に向かっての通路がある。一旦”元線路”に降りる事になるが、キレイに線路やマクラギは取られていた。

↑趣がある改札口付近。左側の一般的なポストは使用済みのきっぷを入れるものであった。

↑駅舎は長いベンチと時刻表等の掲示物があるだけで、何も飾るものがない。

↑駅舎。お客が入れるスペースは狭く、左側の2/3は執務室のようだったが、今や無人駅なので何も使われない空きスペースだ。

石見簗瀬駅の周辺を歩くと、本当に小さな集落であった。
駅前はちょっとした駐車場や郵便ポスト、少し離れると警察の駐在所も。住宅が数戸あったが空家も目立ち、昭和の時代からあると思われるポスターも目立った。
街の衰退=駅の衰退に直結していた。
だが、駅としての価値を見ると、宇都井に負けないほどの面白さがある事を知っておきたい。

13回目に続く

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KH8000

普段当たり前のように乗っている鉄道、バス、クルマは、意外と深い所まで知らない人が多いのではなかろうか? 例えば「何で大雨が降ると電車が止まってしまうのか?JRは簡単に止まるのに、私鉄が止まらない!その差は何か?」と素朴に感じるみなさんが知りたい”今話題のネタ”を、テレビ・新聞・SNSよりも詳しく、わかりやすく、深くしゃべり倒す!

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