JR西日本が三江線を廃止した理由

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JRが発足してから30年。
「歴史は繰り返される」と言われるが、国鉄が分割民営化される際に、利用の少ない83路線を廃止したのと同様に、JR北海道とJR西日本では同じような事をやろうとしている。

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★JR西日本が三江線を廃止を表明

「三江線鉄道事業廃止の意思表示」(JR西日本ホームページ)

↑2016年9月1日、JR西日本は正式に三江線を廃止する方針を示した。
同社の米子支社長は「いかなる形でも鉄道事業はやらない」と述べた。
すなわち、鉄道施設は他者が維持管理と保有し、列車運行だけJR西日本が行ういわゆる「上下分離」と言うスタイルであっても、同社は今後一切鉄道による輸送に携わらないと言う意志表明だ。

同社内部の手続きを経て、2016年9月30日に国土交通省に対して「鉄道事業廃止届」を提出した。

提出から1年後に廃止となる決まりにより、2018年3月31日(土)に三江線は全区間廃止が決定。

※当記事公開時点では既に三江線は廃止済み。

本州の100km以上あるJR線で廃止が決定したのは初めて。
利用不振による廃止は、JR西日本管内では可部線(可部~三段峡・2003年に廃止)に次いで2例目。

↑三江線のキハ120。ワンマン単行運転で空席が目立つ事も珍しくない。

↑三江線からの車窓。田津~川戸。廃止になれば見られなくなった。

地元は・・・
①バス転換
②自ら鉄道会社を発足
・・・いずれかを1年以内に選択する事になる。
だが、②を選択した場合も現状から申し上げて、利益が出ない極めて厳しい経営になることは確実だ。

★三江線の厳しい現状

『現状としては厳しい「数字」を示さないとならない。
三江線の距離は108km。
1日1キロあたりの平均乗車人数(輸送密度、2015年度)は50人。
2010年の災害が原因で廃止になった岩手県の岩泉線とほぼ同じ数字である。

三江線では、「残そう運動」があちらこちらで行われている。この努力は素晴らしい。
しかし、廃止を撤回するほどの「数字」(実績)が出ていないのも事実で、現実問題として廃止の方向に進んでいるのは残念だ。

金額ベースの収支では、年間2,300万円の収入に対して、維持費は10億円かかる。大赤字だ。営業係数は公表されていないが、かなり高いだろう。
三江線はたびたび廃止になるウワサがあった。山間部を通る路線のため、自然災害が非常に多い。大雨による土砂流入、土砂崩れ、橋脚流出等である。
被害を受けるたびに、10億円以上の費用をかけて復旧してきた事実があるため、JR西日本はそう簡単に三江線を止める意志がなかったはずだ。

しかし、少子高齢化で鉄道の利用が減少してきている。各路線の赤字を少なくするために、さまざまな合理化(ワンマン運転、利用実態に合わせた運行本数や両 数の設定等)を実施しているが、これはサービスダウンとなるため、どんどんお客が離れている。さらに過疎化やマイカー社会も拍車をかける。
JR西日本と言う民間企業の経営努力だけでは、ついに耐えられなくなってきた。
数年前かなりの数のローカル線に対して水面下で廃止の打診をしたが、各地から強い反対を受けて事実上撤回している。
三江線については、「今すぐにでも廃止したい」と言うのがJR西日本の本音。
「2017年9月頃までに」と言う具体的な時期を示している事、その時期までの時間が短いため、経営的には非常にヤバい事になっているのだろう。”待ったなし”が現実だ。

「残そう運動」がいろいろ展開されているが、それが一時的では意味がない。長期的かつ継続的にお客が乗ってもらわないと、廃止を避ける事は出来ない。
乗ってわかったのが、三江線が走る所が必ずしも人がいるとは限らない事。江の川と並走するが、人が住んでいるのは三江線の対岸。江の川を渡る橋は必ずしも駅近くとは限らない。駅に行く事さえ大変だ。
もし、対岸に三江線があったら廃止の議論はなかっただろう。もっとお客が多かったに違いない。
マイカーから三江線での移動促進は容易ではない。本数が少ない、駅に行く事が大変等不便すぎる事が、”元凶”となってしまっている。ロケーションの悪さも、お客が少ない理由の1つである。』

★過疎化が進む地方の鉄道は、”仕掛け”がないと乗ってもらえない

JR西日本は三江線以外にも利用不振の路線を多数抱えている。特に中国地方の非電化路線がほとんどで、これが同社の経営的に負担となっているのは事実。
正直言って、「不採算路線は全て廃止したい」のが同社の考えであろう。それが株式会社である以上当然と言える経営判断である。
しかし、鉄道は役所のサービスと同じく、「公共機関」なので簡単に廃止する事は出来ない。
三江線のように1日の利用者が極端に少なくないと、地元の納得も得られない。

三江線沿線では、「廃止反対」と言う雰囲気が強く感じられたが、実際にはそういう運動だけで、クルマから三江線に移動手段を変更したと言う利用者は、私が乗車した時に限って言えば、皆無だった。
それは、交通弱者だったり、諸事情でこの時だけ乗車(但し数はかなり少ない)、私のように鉄道を楽しむ同業者(この数が多い)くらいだった。
「地元の日常的な交通手段」と言う見方をしてしまえば、三江線はかなり昔にその役割を終了していたと認めるしかない。

今後は?と言うと、前述のとおりバス転換or鉄道継続(但し新会社による)の二者択一だ。
前者を選択した場合、上記リンクブログにもあるとおり、駅前は狭い道路が多くそもそもバスが入線出来るか疑問だ。
実際には 一部駅は江の川対岸にバス停を設置。本数は現状より増える事はほとんどなく、むしろ減便している。利用するお客は限定的なのは確実。少なくても遠方から来た人は、余程の事がない限り乗らないだろう。
バスも危うく、将来的にはバス自体も消滅する可能性もあるだろう。
後者は前述のとおりである。

「上下分離」等、”残せる仕組み”が制度として出来てはいるが、結局は「乗って残そう」が基本となる。
どんなに立派な制度があっても、乗らないと意味がない。
クルマ利用者を鉄道にシフトさせると言う事は、都市部でない限りまず出来ない事。
過疎化が進む地方では、クルマ以上に便利な移動手段は存在しないし、逆にそれを作る事も出来ないと思う。クルマに勝つ事は出来ない。
定期利用だけで飯を食って行く事は、地方の鉄道ではまず出来ない。

ならば、鉄道を遊園地みたいに観光地化する(例えば大井川鐵道のきかんしゃトーマスのようなもの)、鉄道のみでしか行く事が出来ないハコモノ施設(例えば商業施設)がないと、そもそも移動しないし、鉄道に乗る機会もない。
乗ってもらうための”仕掛け”を生み出せないと、今後どんどん廃止が続くと思う。

次回以降、三江線廃止直前の1年定期的に乗り歩いた模様を長期間にわたり、掲載する。(下記リンクをクリック11月5日公開)

【まずは尾関山駅へ】三江線廃止までの”参考”になる記録①

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KH8000

普段当たり前のように乗っている鉄道、バス、クルマは、意外と深い所まで知らない人が多いのではなかろうか? 例えば「何で大雨が降ると電車が止まってしまうのか?JRは簡単に止まるのに、私鉄が止まらない!その差は何か?」と素朴に感じるみなさんが知りたい”今話題のネタ”を、テレビ・新聞・SNSよりも詳しく、わかりやすく、深くしゃべり倒す!

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1件の返信

  1. 忍者てつ丸 より:

    三江線は1997年頃乗りました。
    大阪から岩見交通の夜行バスにて浜田着。
    始発列車で江津に行き、やはり始発列車で三次に抜けました。
    土曜日ゆえ当時はまだ高校も授業があったようで、石見川本辺りから高校生がかなり乗るも、粕淵で降りてからはスカスカの状態で走りました。
    (かなり乗る言っても1両編成に立ちがそれなりにいた程度です)
    調べて見たら粕淵は当時でも80人/日であり、廃止直前は20人/日。
    その高校も2009年に統廃合されたようで、これで路線維持は無理と言うか無謀です。
    1日5往復じゃ乗って残そう運動やったところで瞬間的でしかありません。
    鉄道ヲタとしては残して貰いたくても、現実は廃線以外の選択しか無いです。
    ちなみに葬式厨は嫌ですから、敢えて再訪はしませんでした。

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