【2018年11月廃止後/今にも列車が来そうな浜原駅】三江線廃止からの”参考”になる記録93
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【日付】2018年11月24日(土)
【場所】浜原駅
もくじ
★今にも列車が来そうな浜原駅
三江線の運行上の拠点となったのが、石見川本駅であったり浜原駅であった。浜原駅では三江線最終日にJR西日本による現地対策本部も設置されて、本当に多くの人で賑わった。三江線の歴史を語る上で、浜原駅は重要な存在なのであるが、廃止後は「見たくない現実」となっていた。

↑踏切だけは通れるようになっている。踏切は新しいタイプに置き換わっていたが、実際に稼働していたのは極わずかであった。

↑石見川本方面に対して線路が分岐する所。「立入禁止」の柵に草が生えまくる。

↑レールは赤く錆びていた。もう使われる事はない。役目を終えた・・・と思うと悲しい。

↑一方でホーム上の線路は草が生えまくる事もなく、比較的状態が良い。とは言っても誰かが定期的に手入れしているわけでもないようだ。



↑駅舎や三江線全通記念石碑はそのまま残っている。郵便ポストも現役で使用。浜原駅として今や機能しているのは駅舎だけで


↑待合室そのものは今でも使われている。三江線現役時代からあった本もそのまま残されている。新しい本が入った気配はしなかった。この先のホームは「立入禁止」。



↑ホームの三次方面を見ると、そのまま線路が残っている。ここもホーム上と同じく草が生えまくる事はない。信号機も残っていたが、「×」印が入る事もなく消えているだけ。現役の鉄道路線で使用停止の信号機は、その印が入るが廃線後の路線では信号そのものが点灯しないため、わざわざその印を入れる必要がないか。

↑クルマに戻る途中、縦書きの「はまはら」と書いた駅名票だけは残っていた。原則的にはこれも撤去対象だが、一部の駅ではそのまま残されている。
こうやって浜原駅を見てみると、「今にも列車が来そうな」感じだ。元々の設備が立派だったと言う事が理由として大きいが、これだけ残されていると、むしろ列車が来ないと言う現実の方が不思議である。
94回目に続く
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