【2009年8月乗車/上野→金沢で乗った好きになった夜行列車】489系急行能登ドラマチックな夜①

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★2010年3月まで定期運転していた489系夜行急行「能登」

私は夜行寝台列車の乗車回数は今の所(2019年8月)たったの2回しかない。「夜行列車」自体は何回もあるが、ほとんどは「ムーンライトながら」のような座席車が中心。その中で私が特に愛用したのが、2010年3月まで上野~金沢を高崎線~上越線~信越本線~北陸本線経由で運転していた489系「急行能登」である。この列車には3回も乗った事がある。

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「急行能登」の乗車記録はアメブロ開始当初(2009年~2010年にかけて)数回書いた。この当時の北陸のJR線はとにかく面白すぎて、年に何回も行った。その事や急行「能登」の乗車記録も新ブログ(KH8000ショー)への移行も必要と考えた。

★急行能登とはどんな列車?

運行区間と運行経路は上記のとおりである。最後まで運行していた「定期夜行急行列車」であった。車両は特急型の489系(JR西日本金沢総合車両所=金サワ所属)の9両。489系は長野新幹線(当時の愛称。この当時も今も正式名称は北陸新幹線)開業まで(1997年まで)は、上野~金沢を結んだ特急「白山」(高崎線~信越本線~北陸本線経由)を中心に使われていたが、その後は急行「能登」や特急「雷鳥」(大阪~金沢・富山)、特急「はくたか」(金沢~越後湯沢)等で使われてきた。最終的には9両×3本の489系が残り、急行「能登」を中心とした運用に移行した。

↑車両塗装は国鉄色。特急「白山」として活躍していた当時は異なる塗装色だったようだが、これの運転が終了してからしばらくした頃に国鉄色に戻された。

車両の編成は下記の通りである。

H01編成・・・①クハ489-501②モハ488-4③モハ489-4④サロ489-23⑤モハ488-204⑥モハ489-19⑦モハ488-6⑧モハ489-6⑨クハ489-1

H02編成・・・①クハ489-503②モハ488-207③モハ489-22④サロ489-27⑤モハ488-206⑥モハ489-21⑦モハ488-2⑧モハ489-2 ⑨クハ489-3

H03編成・・・①クハ489-505②モハ488-215③モハ489-30④サロ489-25⑤モハ488-205⑥モハ489-20⑦モハ488-13 ⑧モハ489-13 ⑨クハ489-5

毎日2編成が運転して、残り1編成が予備扱いとなる。上野発金沢行きの場合、9号車が上野~長岡間は先頭。長岡駅で方向転換(スイッチバック)を行い、長岡~金沢間は1号車が先頭に代わる。

急行列車なので自由席が多いのが特徴だ。

5~9号車=自由席(但し6号車は誰でも利用出来るラウンジ車両を連結)

4号車=グリーン車指定席

1~3号車=指定席(但し1号車は女性専用車)

と言う編成である。私の経験からして自由席であっても着席する事はほぼ可能であった。それでも上野~高崎は最終列車のような役割もしているので、この区間を中心に混雑しやすい。高崎駅でほぼ全員下車するので、この先も乗り続けるお客は自由席では少なく、指定席やグリーン車が主体であった。

金沢行きの611M(上野~長岡)・601M(長岡~金沢)運転時刻は下記の通りであった(2008年3月15日のダイヤ改正に基づく)

上野23:33発→大宮23:59~0:01→熊谷0:32~0:33→高崎1:03~1:08→水上(運転停車)1:56~1:58→越後湯沢(通過)2:20頃→長岡(運転停車・方向転換)3:20頃~3:30頃→直江津4:13着→糸魚川4:40着→泊5:01着→入善5:06着→黒部5:15着→魚津5:20着→滑川5:28着→富山5:41着→小杉5:50着→高岡5:56着→石動6:09着→津幡6:18着→金沢6:29着

乗った事はないが、上野行き(602M~612M)の時刻は下記の通りである。

金沢22:15発→津幡22:24発→石動22:34発→高岡22:45発→小杉22:51発→富山23:01発→滑川23:15発→魚津23:22発→黒部23:28発→入善23:37発→泊23:42発→糸魚川0:01発→直江津0:31発→長岡(運転停車・方向転換・時刻不明だが1:30頃と思われる)→高崎4:05着(4:35頃まで停車すると思った)→熊谷5:07着→大宮5:39着→上野6:05着

運転士は自社管内の担当で、高崎・長岡・直江津で交代があった。車掌は全区間JR西日本金沢列車区の担当で2名乗務。今やJR会社間をまたいだ乗務である「越境乗務」が完全消滅したに等しいが、当時はまだまだ残っていた。JR西日本ではお決まりの始発駅発車時に「今日もJR西日本をご利用くださいまして・・・」となる所が、他社管内を走行しているため「今日もJR線をご利用くださいまして・・・」と微妙に変更されている所が、「この列車は性格が全く違うな!」と言う事に気付かされた。

「夜行列車」のため、深夜は照明を薄暗くしたうえで車内放送も中止する。この区間は高崎~富山の間で、途中駅下車するお客もいるため、車掌はノリホ(乗車人員報告)を参考に下車駅が近づくと、直接下車するお客の座席まで出向いて起こしに来ていた。上野~高崎と富山~金沢については、通常通り照明を明るくして、車内放送も行う。

必要なきっぷは乗車区間の乗車券+急行券。指定席に乗るならば別途指定席券、グリーン車に乗るならば別途グリーン券も必要だ。それでは実際に乗車してみよう。

★上野駅は特急ホームの16番のりばから発車

【乗車日】2009年8月20日(木)

【列車番号】611M~601M(急行能登・金沢行き)

【時刻】上野23:33→金沢6:29

【車両】JR西日本の489系H03編成

↑上野駅の”トーサンバン”こと、地上ホームの13番のりばへ。すると23:03発の金沢行き寝台特急「北陸」が発車する所だった。これは「能登」と友達で全く同じ区間・経路をわずかな時間差で運転する。「北陸」は寝台特急のため、ベッドで横になって眠る事が出来る事が最大の特徴。特急で寝台なので料金も「能登」に比べて大幅に高い。「北陸」は料金が高いのに対して、「能登」は料金が安く比較的小規模な駅にも止まるため、ちゃんとした”すみわけ”が出来ている。

↑上野駅の16・17番のりばは特急専用。中間改札口があって、必要な乗車券などを見せないといけない。急行券なしでホームに来る人もいるので、近くにはきっぷを販売している。17番のりばには651系の特急「フレッシュひたち」(当時、1日数本だけの651系による運転)が入ってきた。

489系は急行「能登」だけの運用ではない。間合い運用で実は夕方から稼働しており、この当時あった宇都宮線や高崎線のホームライナーとしてアルバイトしていた。489系のヘッドマークは昔ながらの”手動取替式”。23:10過ぎに尾久の方から回送で入ってくると白い背景の「ホームライナー」と言うヘッドマークが付いたまま。これを「能登」に取り換える。これが「能登」としての”運行開始”の瞬間だ。

↑1号車女性専用レディースカー。女性専用車両だ。1号車(クハ489-505)は中間改札口の近くである。サボには昔ながらの「急行 EXPRESS」が付いていた。これもJR世代の車両では消滅してしまったものだ。

↑2号車(モハ488-215)は誰でも利用出来る指定席。当時は連結面に転落防止用の幌が付いていない。これを見るだけで10年の歴史の流れを感じる。

↑グリーン車(4号車・サロ489-25)。当然普通車と比べれば、ゆったりとしているように見える。乗る事は出来なかったが。

↑サロンカー(6号車・モハ489-20)入線直後は消灯していたが、乗車開始時には当然照明が入る。この車両は座席として長時間着席する事は出来ないが、他の車両の座席を利用しているお客が一服出来るようになっている。とは言っても晩年の急行「能登」は全車両禁煙であった。

「能登」は2回目の乗車。前回(2008年6月にも乗っている)は上野~糸魚川間で指定席利用。この時は当時糸魚川駅にあった、大糸線のキハ52が入るレンガ造りの車庫を見た後、初発の富山方面行きの普通列車(413系)に乗った。早朝の糸魚川駅で降りたのは私だけ。今やレンガ造りの車庫は新幹線駅を作る時に一部を除き撤去された。移築と言う話も合ったが実現する事はなかった。

★急行列車の基本は自由席に乗る事

今回(2009年8月)は上野~金沢間で自由席を利用。
「急行の基本は自由席!なら、今回は自由席で!」

と言う事で発車ギリギリで車内に入ると1両に約15名ほどしか乗っていない。「ガラガラ」と言ったレベルである。

ちょうど席に座ったところで、発車メロディーが鳴り上野を発車。

「能登」オリジナルの「鉄道唱歌」が流れ、案内放送がスタート。国鉄の特急では標準的な車内音楽であった「鉄道唱歌」だが、いろんなバージョンが存在し489系のものはかなり”軽い感じ”がするものだ。

この列車は「急行」なので、別に「急行券」が必要であると強調する。 熊谷や高崎までだったら「ホームライナー」の感覚で使えるが、今や高崎線では「スワローあかぎ」になっているので、紙のきっぷを買って・・・ではなくて、スマホ1台でいつでもどこでもきっぷが買える時代になっているのも、ここ10年で大きな変化と言える。

実際に半分近くの人が熊谷や高崎までの乗車。”深夜走行区間”(高崎~富山)では確かに人数は減るが、それでも意外と多かったのが直江津までの利用。ここで乗り換えて佐渡島や長野を目指す利用だ。

大宮では5人ほどが乗る。思ったよりも少ない。さすがに上り(上野方面)は最終の運転が終了。すでに夜間作業(保線等の線路設備のメンテナンス)が始まっていた。

↑熊谷には0:32に到着。数人が下車する。さらに30分走って1:03頃に高崎に到着。高崎までの利用が多いため、到着直前に高崎下車のお客を1人ずつ車掌が声をかける。高崎で降りられないと次は新潟県の直江津まで降りる事が出来ない。そういうお客がいると、車掌も困るので事前に1人ずつ声をかけて”降り遅れ”を防ぐ。

★高崎では急行能登×ムーンライトえちごが対面!

↑高崎では先行していた、国鉄色の485系「ムーンライトえちご」が待っていた。かつては定期運行していた「ムーンライトえちご」だが、これも臨時化されてしまい、気付いたらこの臨時さえも消えていた。東北・信越方面へ向かう「18キッパー」に重宝される列車であったが、車両が古い事や利用の低迷を理由に消えている。

高崎では先発していた「ムーンライトえちご」が「能登」に抜かれる。前者は全車指定席に対して、後者は自由席が多い。種別的には後者が格上だが、前者は種別的には低いものの停車駅が少なく、しかも全車指定席なので、どちらの方が立場が上なのかよくわからない。

★消灯した高崎~富山の”深夜走行区間”は幻想的な車窓が見られた。頸城トンネルの轟音で目覚める

高崎を1:08に発車。この段階で1両に7~8人程度乗っていた。急行「能登」の自由席はいつもこんな感じ。すると「おやすみ放送」。 再度到着時刻の案内、貴重品は必ず身に付けて寝るように。

その直後車内の照明が薄暗くなった。これが富山到着直前の5:30頃まで約4時間続く。高速バスとは異なり、完全に真っ暗にならない。列車の車内が暗い中で見る車窓は、なんとも幻想的。普通に照明が点いた状態で見るよりも、夜の車窓は外がハッキリと見えると言う意外な発見も。

水上に1:56到着。上りホームには貨物列車が止まっている。上越線は旅客列車こそは少ないが、貨物列車は運行本数が多い路線だ。しかも先頭の機関車はホームから一部はみ出ていたので、両数は長い。貨物は1:57に発車。「能登」は運転士を交代するための運転停車中。水上から先はJR東日本新潟支社(長岡運輸区等)の運転士に代わる。

湯檜曽、土合の明るいトンネル駅を過ぎて、新潟県側に出ると上野行きの「能登」が見えてきた。上野行きの「能登」は越後湯沢駅で運転停車中であった。2:20頃。上野発・金沢発ともこの辺りですれ違うので、両者のすれ違いを狙った写真が雑誌「鉄道ファン」の誌面にあった事を今さらながら思い出した。

↑水上から運転停車する事が一切なくて、次に止まったのは長岡だった。約1時間20分走り続けた。3:20頃に到着し方向転換。車掌も乗務位置の変更があるため、ホームを歩いて移動していた。

発車するタイミングはお客にはわからない。「ガックン!」と言うような衝撃を感じることなく、気付いたらいつの間にか発車していた。

そのまま信越本線に入るが、寝てしまい記憶はない。夜行列車=寝る。この当時からそうだが、夜行列車や夜行高速バスのように「寝てください」と言う車内環境下であっても、なかなか寝る事が出来ないのが私の悪い癖だ。この時は実質的に高崎~筒石付近まで寝ていたが、それでもちょこちょこ起きていた。

気付いたら信越本線が終わって、直江津から北陸本線(当時)に入り、レールの音がうるさく目が覚めた。名立~筒石~能生の間にある「頸城トンネル」を爆走している頃だった。この区間は130km/h走行が可能な線路の作りだが、489系は性能上そこまで出す事が出来ない。それでも120km/hは出ていた。

↑まだ真っ暗な糸魚川に到着。時刻は4:40である。下車する人もほとんどいない。まだまだ朝は遠い感じだ。

↑魚津に到着。富山県内では主要駅に停車する。東京からの帰宅列車+始発列車の2つの役割を持つ。国鉄~JR初期にかけてこの種の列車は多数存在したが、生活様式の変化や社会の変化等により、この種の列車は「役目を終えた」と言っても良い状況だ。今や極一部を除き存在しなくなったのも、10年前はまだまだあったんだけどな・・・と懐かしむ自分がいた。

★始発列車の役割もあるため主要駅に停車するが、富山県内から乗る人は少ない

「美しき青きドナウ」の車内メロディーが「おはよう放送」。ここから車内照明が通常の明るさを取り戻し、車掌による案内放送も再開される。

「みなさま、おはようございます。今日は8月21日金曜日です。 現在時刻は午前5時29分です。列車は定刻どおり運転しております。 あと10分ほどのご乗車で富山に到着します」

夜行列車で「おはよう放送」を聞くと、朝が来た!と言う感じがしてきた。富山には定刻どおり5:39に到着。富山では思ったよりも動きがない。当時は「サンダーバード」や「しらさぎ」と言った特急はすでに始発が発車済み。「能登」に乗ると、福井・米原・名古屋・大阪には行けないので、金沢に行く用事がない限り乗る理由がない。何回か「能登」には乗ったが、北陸本線の中でお客が積極的に乗ると言う姿は、ほとんど見る事がなかった。

↑5:56、高岡に到着。 氷見線と城端線の列車が「能登」の到着を待っていた。

↑津幡には6:18の到着。ここから石川県だ。反対側のホームには「食パン」こと419系が止まっていた。

↑金沢到着前の様子。座席は空席だらけ。回送同然と言っても良いのかもしれない。最終区間としては寂しすぎる車内であった。

↑金沢には6:29定刻の到着。すでに朝のラッシュが始まろうとしており、683系や413系等の「北陸の電車」が次々とやってきていた。

この当時JR西日本が公表していた利用実績では、急行「能登」の乗車率は平均20%。上野~高崎では一定の利用があるが、それ以外の区間ではガラガラが当たり前であった。すでに2000年代初頭からこのような状況で、淡々と運行を続けてきたが、社会情勢の変化等により「能登」のような列車は、「必要な存在ではない」状況になってきた。それは夜行列車全体に言える話で、寝台列車であっても例外ではない。489系は引退が近かったので、引退する直前まで「能登」の定期列車として動かしていた。

「能登」自体は、2010年3月のダイヤ改正で定期列車から臨時列車に格下げ。JR東日本の485系1000番台の6両(主にK1・K2編成)による多客期限定の運行になった。しかしそれも長くは続かず、2012年2月24日の運行をもって事実上終了した。

私が急行「能登」に乗ったのは、さらにもう1回あって次回はその時の模様を書きたいと思う。

2回目に続く


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KH8000

普段当たり前のように乗っている鉄道、バス、クルマは、意外と深い所まで知らない人が多いのではなかろうか? 例えば「何で大雨が降ると電車が止まってしまうのか?JRは簡単に止まるのに、私鉄が止まらない!その差は何か?」と素朴に感じるみなさんが知りたい”今話題のネタ”を、テレビ・新聞・SNSよりも詳しく、わかりやすく、深くしゃべり倒す!

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