【2018年4月1日廃止後の様子を見る/駅の中は立入禁止に】三江線廃止までの”参考”になる記録83
もくじ
★船佐、宇都井、所木、長谷、尾関山、三次と三江線廃止後の様子を見る
【訪問日】2018年4月1日(日)
【場所】三次駅~宇都井駅へかけてクルマで訪問
三江線の最終運行日の翌日。書類上は2018年4月1日が三江線廃止日であるが、実際に営業列車が通れるのは前日の3月31日までだ。4月1日以降は、三江線に列車が通る事はない。 昨日(3月31日)まで9時頃には三次行きの9423Dが通っていたが、4月1日に通る事はなかった。

↑広島県道112号線を通り、船佐駅へ。見た限りは昨日(3月31日)のままであるが・・・

↑ホームには入る事が出来なかった。

↑線路内にも入る事が出来ない。

↑式敷駅。駅舎の部分では、三江線代替バス「三次式敷線」の出発式を実施するために準備が行われていた。
踏切には、「鉄道廃止。一旦停車不要」と言う表示はなく、遮断機が撤去されていた。





↑宇都井駅。列車が来ないのに、クルマで訪問する人が絶えない。 昨日(3月31日)まで夜間はイルミネーションされていたが、この日(4月1日)は片付けが行われていた。 宇都井駅の中にも入る事は出来ない。「立入禁止」の大きな仕切りが一晩のうちに立ってしまった。これは三江線途中駅全駅共通で、踏切等の公道との境界付近でも同様であった。
2018年4月1日以降もJR西日本の土地ではあるが、鉄道営業する方針もないため、三江線の廃線跡だけがそのまま残っている。2019年度以降鉄道施設を随時撤去する方針と言うが、一部自治体(島根県邑南町など)は三江線の跡地を活用した町おこしも行う事にしている。Twitterを 見ていても現在(2019年7月)でも活発に活動が行われている。
三江線廃止後にどのように楽しめばいいのだろうか? 私もいろいろと考えているが、駅には入れないので単にドライブだけで終わる可能性が高い。
北海道では、国鉄時代末期からJR初期にかけて赤字路線を多く廃止したが、廃止後の活用方法は、規模が大きな駅だとバスターミナルに転用、一部駅は地元有志が現役時代そのままに駅を残している。中には自転車道や国道に転用されたり、草むらに覆われて鉄道が通っていたか全くわからない所も少なくない。 宇都井では、「inaka@イルミ」が2018年の廃線後も実施される事が決まった。その時の模様は後日のブログで。


↑所木駅。手作り看板が印象的であったが、4月1日以降は「旧所木駅」と小さく「旧」の文字が。一般的には、4月1日以降は、「旧三江線」等と称しているが、私は「終わった感じ」がして嫌なので、「旧」と言う表現は一切使わない。


↑秘境駅として知られる長谷駅にも寄ってみる。ここもクルマで来る人が後を絶たない。駅舎の付近までは入る事が出来るが、その先は「立入禁止」。それどころか駅舎の中も「立入禁止」。

↑すると、三江線代替バスが式敷に向かうため、長谷を通過。ジャンボタクシーで十分な程度の需要しかないのは、三江線と変わらず、私としては今後もっとお客が減るのではないか?と思う次第。




↑尾関山公園周辺のサクラは満開になっていた。しかし、その先にある三江線鉄橋に列車が通る事はない。




↑尾関山駅は、廃止になったとは思えないような雰囲気。それでも「立入禁止」の仕切りはあるが、他駅と比べて比較的立入可能な場所が多い。


↑三次駅の構内。三江線は右に分岐するが、列車が入れないようにぶ厚い木が数本マクラギ方向に置いてあった。分岐器の撤去や線路の撤去は遠くないうちに実施されるようにも見えた。

↑三次駅の運賃表。三江線の部分は白く消されていた。

↑駅名表からは「おぜきやま」の名前が消えた。
三江線は完全に終わってしまった。
もう、三江線に列車が通る事が出来なくなってしまった現実を見ると、そう思うしかなかった。
しかし、廃線後もまだまだ続きがあった。
84回目に続く
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