【最後の日・船佐駅と香淀駅・超満員9424D石見川本行き】三江線廃止までの”参考”になる記録77
もくじ
★船佐駅で三次行き9423Dを撮影。列車発車後も訪問する人が絶えない
【日付】2018年3月31日(土曜日・最後の日)9:00~11:00
【場所】船佐駅から香淀駅にかけて
三次で借りたレンタカーを使い9:00少し前に船佐駅に到着。ギリギリで9:00発の9423D三次行きに間に合った。




↑定刻より約6分遅れて、9423Dが到着。意外と混雑していない。立客が多少いるくらいであった。

↑船佐でも廃止に向けての準備が進んでいた。翌日(4月1日)のほぼ同じ時刻にも訪れたが、この時(3月31日)とは随分様子が変わっていた。これは後日書きたいと思う。

↑役目を終えるレール

↑9423Dを追いかけるように代行バスも到着。肝心の9423D自体乗車出来る状況であったため、あえて代行バスに乗るような人は誰もいない。

↑列車が発車してからも、断続的に同業者(鉄道ファン)を中心に船佐駅への訪問が続く。これも「廃線の日」「最後の日」ならではの姿と言えるだろう。移動手段はクルマ、バイク、自転車である。
最後の日を迎えた船佐駅の細かい所まで見学し、9:50頃に発車。比較的長めの滞在であった。特に急いでいる事はなかったので、最後なのでのんびりと居る事を心掛けた。
★香淀では9424D石見川本行きに合わせて、壮大なセレモニーを開催!超満員で乗車出来ず代行バスも登場!
船佐駅からは香淀駅へ向かう。カーナビを設定すると、8キロ20分と出て来た。式敷駅までは県道112号線を進み、国道375号線に出る経路であったが、走行経路を間違えたため、国道には出ず、三江線に沿った道を香淀まで通る事になった。
式敷では、地元(安芸高田市)主催のさよならセレモニー開催のために、準備が行われており人が集まりだしていた。
式敷~香淀の三江線の線路沿いでは、近くに住む人が9424D石見川本行き列車に見せる「ありがとう三江線」等と書いたプレートを出す準備も。
「本当に今日で三江線も終わりなんだなぁ・・・」と少しずつであるが、実感し出す自分がいた。


↑香淀駅に到着。近くの臨時駐車場にクルマを止める。すでに駅前にはクルマでいっぱい。人もたくさん。どうやら10:40発の9424Dを対象に地元主催の「さよならセレモニー」が行われるとの事。これに私も参加する事に。


↑10:20の時点で、多くの人が来ていた。ざっと100人以上。すでにセレモニーは始まっており、マイクで挨拶を述べていた。
テレビの取材も来ていて、この時確認出来たのは広島テレビ(日本テレビ系)だけであったが、後で見たニュースではテレビ新広島(フジテレビ系)も。いずれも私はどこにも映っていなかったが。


↑9424Dをホームで撮影するために、江津方の端で待つ。この辺に居るのは私くらいで、他の人は駅舎近くに集中。上空にはヘリコプターが数機。NHKをはじめテレビ数局が9424Dを追いかけるように空撮しているようであった。



↑約2分遅れて、9424Dが到着。淡々と発車。車内は三江線では今までに見た事のない超満員に!
これ以上のる事が出来ない状況。3両でざっと450人位は居ただろうか。
三次駅からの一斉放送で、「超満員で乗車出来ないので、途中駅から乗車のお客は代行バスに乗ってくれ」と。
肝心な列車に乗車出来ない事態が発生してしまったが、それでもバスで移動出来るので、移動できない事態にはならなかった。




↑香淀駅のホームの様子を見ておく。9424D発車後にセレモニーは終了し解散となった。これ以降残る人はいないため、香淀でものんびりと撮影。
「三江線ごくろうさん」と大きく書いた地元からの寄せ書きが印象的であった。


↑駅舎に対しても、「ありがとうJR三江線」と書かれた横断幕があった。一方で香淀でも例外なく、廃線後の準備は進んでおり、なんとも複雑な気分になった。

↑11:10頃になって、代行バスが到着。代行バスも満員に近く、運転士が乗車する人の有無を確認していた。次に香淀に列車が来るのは14時過ぎまでないので、同業者がクルマ等で時々来るくらいになった。
中には、9424Dに乗ったが超満員で嫌になって香淀で下車。代行バスに乗り換えるような人も。
その後、私は休憩していると地元の人に声をかけられてお話をする。そのお話の中で、「江の川対岸にあるサクラの木と鉄橋が絶好の撮影場所」と言う情報を入手する。その人に具体的な場所を伺って、ここへ寄ってみた。


↑香淀駅からはクルマで2分ほど。道路から1本江の川の河川敷に降りた所で、確かにサクラをバックにした三江線の鉄橋と言うのは、構図としては素晴らしい。地元の人でないと知らない場所で、遠くから来る人はほとんど来ないと言う。
78回目に続く。
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