【「1人で死ね」は正論/川崎登戸無差別殺傷事件】は卑怯なやり方だが、社会がバックアップする体制も必要だ

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もくじ

★「1人で死ね」は正論。「卑怯なやり方」で人殺しをした以上は「消さないといけない人間」の候補者だ

小田急線登戸駅近くの路上で、2019年5月28日(火)7時45分頃に近くの私立小学校のスクールバスを待っていた小学生ら19人が、川崎市麻生区に住む岩崎隆一(51)が包丁4本を持って刺しまくった。2人を殺して10数人を負傷させた挙句、岩崎はその場で首に包丁をブッ指して自殺した。

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これは本当に「卑怯なやり方」。

岩崎隆一は、その場で自分の首に刺して自殺を図ってそのまま死んだわけで、死ねば自分に降りかかる責任は一応回避出来るわけだから、それはそれで楽な責任回避と言うのが「卑怯」と言う事。

親族がいるのかどうか知らないけど、私に言わせれば親族の親族の親族の親族まで、「連帯責任」を負わせれるべきで、刑事的にはそこまでの効力はなくても、過去の事件の責任の所在を見ていると遠い親族まで「連帯責任」を負わせているのが、日本の文化とか日本人の考えなんだから、岩崎隆一の親族に対して最大級の責任を負わせるべきだ。

ネットでは「1人で死ね」と言う意見が支配的で、私もそれには肯定的だ。と言うか「1人で死ね」は間違えなく正論である。人には「死ぬ権利」はあるのだ。しかしそれには条件があって、関係ない他人を道連れにして死なない(殺人行為をやらない)のは大前提だ。

死にたいと思うのであれば、1人で隠れてひっそり死ねや!と言う事だ。

すなわち、鉄道を死ぬための道具として使うのではなく、事件も事故も自ら起こさない。飛び降り自殺ももってのほかだ。青木ヶ原樹海辺りに入るとか、台風の日に灯台に行ってそこで荒波にのまれて死ぬのが良い。

しかし「なぜ意図的に死ぬ必要があるわけ?」とよく思う。そのような”人生のドロップアウト”は、あの世でも良い気分で受け入れることはしない。むしろ”苦行”をさせて、あの世でも生活してもらう事になる。仏教の世界ではそのような解釈だ。

「苦しくても生き抜けや!」

と言う事。それをする事がみなさん一人一人の使命である。

そうなる前にまずは死にたいと思わない生活をするべきだ。選択肢や出来る事は今の世の中には山のようにある。ではなぜそれが出来なかった?そう言う努力をしたり結果を出す事が出来なかった?

失敗しても良いわけで、ダメなら次の方法を、さらにダメなら別の方法を・・・繰り返しやれば良いだけのこと。人間は誰だっていつかは死ぬ。その時に残された人にいかに迷惑をかけないのか?考えた事があるか?という事。それを実行して死んでいるかと言う事だ。今回のような「自爆テロ」同然の殺害行為は今や毎年のように日本でも起きているが、ハッキリ言って卑怯。最低最悪のクソ人間であって、遺体を処分する時も火葬ではなくて、北朝鮮みたいに野犬に食わせれば良い。

責任はどうするか?である。死ねば責任回避出来ると思ったら甘い。死んでも地獄に落ちるに決まっているわけだから、あの世でも苦労するに決まっている。被害者に対しては、親族が代理で責任を取らないといけない。そんなのは当たり前の話。

仮に岩崎が生きていても、刑務所に入れるだけではなく、責任の取り方として、「やられたらやり返す」。まさにその通りで、”むごい事件”は全く同じやり方で、加害者に対して「やり返して」同じ屈辱を味わうべきだ。難しい理屈は抜きにして、ハンムラビ法典と同じ「歯には歯を目には目を」で良いではないか!その方が責任の取り方としてはスッキリしてわかりやすい。私はそれをやらないと納得出来ない。

これは心理学的に言えば「拡大自殺」と称するもので、1人で自殺するのではなく、不特定多数の誰かを巻き添えにして自分も死ぬことで、社会に対して復讐をして、今回の場合だと「岩崎隆一」と言う生きた証を示す事なんだってさ。そうは言われても大いに不満。不満と思うネット民が多いのがよくわかる。これと同じ事は2015年6月30日に東海道新幹線で発生した列車火災事故と称するテロと全く同じ理屈である

★根本の原因は一度失敗したら「終了」と言う主義を止めて、バックアップする体制を作る事ではないか?

私はそう思っている。岩崎隆一なんて何年も社会との接点もなくて、ひきこもりで、気に入らない事があると誰であっても平気で”どやしていた”わけで、そこで「支援云々」「対策云々」と言った所で、やる方も出来ないことだらけ、限界もある。

通り魔にしろ、テロにしろ、戦争にしろ、革命にしろ、それは自分が社会や権力に対して不満があるわけでしょ?不満がなければ、そもそもそんな事やらんよ!

とか言って、全員が満足になるように出来る事を社会で実現するのも難しい。100%自分の理想の通りの人生が進んだら、それは丸山穂高のようにあんな無神経なバカな事をやって干されるわけで、ほとんどの人間はどこかで理想通りに進まない。それが不満になるのか?諦めるのか?それはその人の性格や価値観次第ではあるけど、不満がある中で「なんとか見返してやろう!」と思うのが普通。その中で結果を出すのがサラリーマンであって、それが世の中なんでしょ?

でもね、それを知らない人が少なからずいるもので自分の思う通りに出来ないと、通り魔やテロと言った暴力的な方法で目標実現しようとする。

それを知らない人に対して、勉強させる機会を与えるのが社会であって、その1丁目1番地が仕事や趣味ではないか!

仕事が出来ない(就職できないで無職状態)、趣味がないならば、NPO等の支援する人が少なからずいるわけだから、そこに入って少しずつ社会勉強すれば良い。日本人の間違っている事があってそれは、「仕事でないと活躍できない」と言う事。なんで仕事に限定するんだよ??

趣味だって、興味のある分野だっていいじゃないか?私だったら職業ではないが(今現在は)鉄道趣味と言う所で活躍すれば、一応は顔と名前は残せるではないか!縁があれば職業化出来るわけだし、それだけで飯だって食って行ける。自分の好きな所で限られた範囲でも良いから、世の中に良い意味で注目させてみろよ!別に広い範囲でなくても良い。会社だけ、限られた組織だけでも良いではないか!そこだけでも良いから活躍出来て、自分の満足出来るように出来ればそれで良いではないか!

納得出来ないならば、会社や組織を辞めてしまって自分の好きなようにやれば良い。世の中そんなもんだと思う。

でも、そこまで出来るエネルギーがない人も多い。ひきこもりとか消極的な性格の人、岩崎隆一なんてこの典型だったと思う。別に同調もしないし、「エネルギーがないお前が悪い」とも言うつもりはないが、エネルギーがないならば社会的に支援する仕組み、バックアップする体制、復活できる体制と言うのは絶対に必要。それが今の日本社会のダメな所。一度失敗したらそれで「終了」。罪を犯した場合はそれで「終了」で良いが、別に法律や警察のお世話になるような事をやっているわけでもないんだしさ、支援・バックアップ・復活出来る体制を世の中が、会社が、組織が、作れないと似たような事件は今後も起きるよ!そういう事を真剣に考えているのかい?自民党さん?経団連さん?サラリーマンのみなさん?そのことについて、答えて見てくれよ。

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KH8000

ご覧くださいまして、ありがとうございます。 当ブログは鉄道・バス・ヒコーキ・船について、読者の皆様が”乗りたくなる”公共交通機関の魅力をお伝えします。 実際に私が乗った時・撮った時の感想などについて「乗車記」「撮影記」として、各地の秘境駅や注目の鉄道駅に直接訪問し現地で知り得た事を「現地調査」として、”他所よりも詳しく”、鉄道系YouTuberに負けぬほどの勢い・情報量・知識・感動体験を当ブログでお伝えします。 私はJR全路線全区間乗車(JR完乗)済みで、鉄道友の会の正会員(一応某支部の幹部・撮影会などの行事についても詳しくお伝えします)です。当ブログのフォロー(ブックマーク)は誰からも大歓迎です。

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