JR発足30年特別企画①~なんで国鉄は消えてしまったのか?
旅客鉄道会社と貨物鉄道会社、いわゆる「JR」は発足から30年を超えた。

↑国鉄型車両の運転席。壁は「国鉄グリーン」と称する模様と言うか、色をしており、乗務員の心身をリフレッシュさせる効果があると言う。国鉄車両は「全国統一」が基本だった。
もくじ
★なんで国鉄は消えてしまったのか?
元々は日本国有鉄道(国鉄)であった。
経営形態としては日本国政府の公社(公共企業体)の位置付けであったが、完全な独立採算制で政府からは1円たりとも税金は投入されていなかった。
高度経済成長期に近代化を目的に「過剰な設備投資」を繰り返した。
年間収入が1兆円しかないのに、年間設備投資額は20兆円。ほとんどは借金をして作った。
新線建設、複線化、複々線化、電化、新型車両投入等を実施。
「今後、確実にお客は増える。お客が増えれば投資額は回収できる」と言う、ある意味”甘い考え”であった。
今のご時世であれば、費用対効果とか将来に向けての需要予測は厳しく、しかも精度の高い内容になっている事がほとんどだが、国鉄時代にはそんな事はなかった。
ただ、漠然と「将来お客は増える」と言う何の根拠もない「待望論」に過ぎなかった。
実際には、お客は増えなかった。
借金が重く圧し掛かり、国鉄の経営は次第に赤字体質となった。東海道新幹線が開業した1964年以来、一度も国鉄は黒字計上する事がなかった。
借金は当然返さないといけないので、返すべきカネを作るためにさらに借金を作ると言う、まさに「負の連鎖」に陥ってしまった。
1976年頃には2年連続で、国鉄線の運賃を50%も値上げした。とんでもなく運賃が高くなり、「国鉄は高い」と感じるお客が増えて、次第に国鉄を使わなくなった。これを「国鉄離れ」と言う。
国鉄の利用促進のために、さまざまな割引きっぷが登場したのもこの時期で、代表的なものが「青春18きっぷ」であったりする。
結局最後は自力では経営出来ない状況になってきた。最終的な負債額は37兆円とも言われており、国鉄単独ではとても返済できなくなった。
そこで、国鉄と言う組織を消して、新しい民営会社を発足させて、各社の経営体力に応じて借金ノルマを設定。借金を全額返済したら、”ご褒美”として株式上場する事を目的とした。
すなわち、国鉄は経営破たん(倒産)したのである。
1987年(昭和62年)4月1日、新会社に移行。
旅客を扱う(人を輸送する)鉄道は全国を6つの地域に分けた。
国鉄時代の鉄道管理局や総局を基本に各地域ごとに新会社を設立。
すなわち・・・
◆北海道総局は北海道旅客鉄道
◆関東甲信越と東北の各鉄道管理局と東北・上越新幹線は東日本旅客鉄道
◆静岡・名古屋鉄道管理局と東海道新幹線(新幹線総局の一部)は東海旅客鉄道
◆北陸、関西、中国の各鉄道管理局と山陽新幹線(新幹線総局の一部)は西日本旅客鉄道
◆四国総局は四国旅客鉄道
◆九州総局は九州旅客鉄道
◆貨物部門は日本貨物鉄道
の7社に分割された。
北海道、四国、九州は一部を除き本州側の旅客会社が経営する事はない。
本州側では基本的に鉄道管理局通りに各旅客鉄道会社、旅客鉄道会社の支社に継承されたわけだが、必ずしもそうではなかった。
例えば、中央西線の長野県内は元々長野局の管轄であったが、国鉄民営化前に名古屋局に移管され、民営化後は東海旅客鉄道の路線になっていると言う細かな変化は多々ある。
山陰線の益田~長門市は米子局の管轄であったが、民営化後は西日本旅客鉄道米子支社の管轄にはならず、同社広島支社の管轄に変わっている。
また、各旅客鉄道会社や貨物鉄道会社の傘下にはさまざまな子会社が存在している。
なお、2017年現在、持ち株会社(一般には「○○ホールディングス」と称する)に移行している社はどこもない。
正式名称ではわかりにくいため、「JapanRailway」の略称である「JR」を一般的な読み方にした。
各社を示す場合、「○○旅客鉄道」と「○○」の部分だけが異なるため、JR+○○を合体した読み方を正式な略称とした。
すなわち、北海道旅客鉄道ならば「JR北海道」、東日本旅客鉄道ならば「JR東日本」である。
貨物鉄道だけは日本全体で1社なので、これは「JR貨物」と言う略称になった。
国鉄時代は法律により鉄道事業並びにそれと直接関係のある業務以外出来なかった。
例えば、「薬局(ドラックストアー)を運営したい」と言っても国鉄時代は出来なかったが、民営であるJRでは鉄道に直接関係ない「薬局」の運営も当然可能で、九州旅客鉄道(ドラックイレブン)のそれはかなり大きな規模となっている。
九州旅客鉄道では本業の鉄道よりも鉄道以外の業務の売り上げが半数以上を占めて、むしろそちらが本業と言う会社も出現した。
九州旅客鉄道に限らず、私鉄各社も同じような状況であったりするが、意外と知られていない。

↑ところで、国鉄時代に製造された車両、いわゆる「国鉄型」はJR発足後も当たり前のように活躍をつづけた。
鉄道車両の寿命は一般には30年。
国鉄が消えてJRとして30年もやっていれば、車両も寿命を迎えてJR各社のオリジナル新型車両になってしまう。
2007年(JR発足20年)の時点では、新幹線を含めて国鉄車両はまだまだ元気に活躍していたが、この10年で急速に数を減らした。
JR東日本では1割以下、JR東海に至っては限りになく0に近い社もあれば、JR西日本、九州のように3割を超える社もあると、”地域間格差”が生じているのも事実。
JR西日本では、車両の保守技術が極めて高く、「長く大切に使う」事を基本にしているため、「長寿命化工事」をするほどだ。
鉄道会社と言えば、車両はまさに”顔”。
国鉄の雰囲気が一気になくなり、各社独自の個性に染まってきたと感じるこの頃である。
2回目は、国鉄の分割が正しかったのか?について書きたい。
労使問題も分割民営化の一因になってますね。
ただ政治的要素も絡むから、これの解析は慎重にやらないといけませんけど。
誰かは忘れたが(社長クラスの人物)国鉄民営化した本当の理由はズバリ「組合対策」と明言していた。
旅客を6つも分割した理由は、それだけ分けておけば組合も弱体化するだろうと。事実東海以西の4社は思惑通りなった。