【常磐線244M仙台→新地】東日本大震災で被災した鉄道を見る⑬
もくじ
★津波で壊滅した常磐線新地駅は更地状態で営業再開
【訪問日】2018年1月5日(金)
【列車番号】244M(原ノ町行き)
【時刻】仙台13:17→新地14:06
【車両】E721系0番台P7編成+701系1500番台F2-506編成
常磐線は関東と東北を結ぶ大動脈路線である。旅客は東北新幹線に多くが移転しているが、東日本大震災前までは上野~仙台で特急「スーパーひたち」が4往復/日程度しており、2012年には新型車両(E657系)を投入するため、特急の運行系統を上野~いわき、いわき~仙台で分離する計画であった。
しかし、東日本大震災で貨物列車、旅客列車が津波に遭遇し、津波に流された。貨物列車は農産物を輸送中であったが、運転士や荷主の判断で被災した人に荷であった農産物を沿線の被災した人に無償で分け与えた事は、今や伝説ともなっている。
そして、東京電力福島第一原子力発電所の原発事故で大量の放射性物質が大気中に飛散した影響で、常磐線で言う双葉付近を中心に何年も被害状況すら確認できない状況になった。今でも一部区間は復旧作業中で不通となっている。
最後は仙台から東京まで常磐線に乗車し、被災した状況を見ることにした。
現在鉄道による運行が行われているのは下記の通り
◆上野~いわき~富岡
◆浪江~原ノ町~仙台
ここに含まれていない、富岡~浪江については代行バスによる輸送が行われている。
しかし、全国版の「時刻表」には時刻の記載は一切ない。
代行輸送している旨だけしか書いていない。 これについては、「常磐線代行バス時刻表」と検索すると、JR東日本水戸支社のホームページが出て来る。これによれば、代行バスの本数は5往復/日程度しかなく、富岡~浪江の途中駅は原則として無停車。 富岡、浪江では列車と接続しているが、接続保証は行っていない。
↑仙台から乗車したのは244Mの原ノ町行きであった。仙台側では浪江まで鉄道で行く事が出来るが、実際のダイヤは原ノ町で分断する格好で、原ノ町~浪江は別列車によるピストン輸送を展開。
↑244Mの後ろのに連結していたのは、701系1500番台の2両。仙台でも異形式併結は多くあるようで、必ずしも同一形式だけの併結ではないようだ。そのためか?E721系側には停車駅を示す電光表示板が何も点いていなかった。
岩沼までは東北本線を走行する。基本的には国道4号に並走するので、クルマ通り、ロードサイド店も多い。当然お客も多い。震災直後は仮設住宅が多かったが、この時はかなり減少していた。しかし、それでも少ないながらもまだ残っている。
↑亘理(わたり)~浜吉田
常磐線に入ると単線。この先双葉まで続く。双葉~四ッ倉は単線と複線が細かく入り混じり、四ッ倉~上野までは複線となる。
震災直後は、常磐線に入って亘理折り返しであったが、少しずつ運転区間を拡大した。
↑浜吉田~山下
↑山下駅
↑山下~坂元
山下駅付近は高架線になった。この付近は大掛かりな線形変更が行われ、元々海沿いであったのが内陸部に移転したと言う。津波に強くする目的もあったため、鉄道は高架による復旧となった。実質的には新線建設に等しい。
↑常磐線に入ると下車が断続的に続く。途中駅からの乗車はほとんどなくなった。
↑下車したのは新地。常磐線で福島県に入って最初の駅。JR東日本の管理上は新地駅から先は水戸支社に変わる。そのため、数日前に水郡線の磐城棚倉駅で見かけた水戸支社オリジナルのデジタル時刻表が駅頭にあった。
↑津波避難経路も完備。東日本大震災ではE721系の普通列車が津波に襲われて大破している。震災被害を残す写真等で広く出回っている記録のひとつでもある。
今の新地駅は海岸線からやや内陸に入った所にあって、昔の新地駅(被災した駅)は1kmほど離れていると言う。そのため、新地駅周辺も実質的な新線として営業再開している。
↑駅舎。有人駅である。
↑新地駅前は更地同然。本当に何もない。あるのは、クルマが入ってきやすいように道路や駐車場所があるだけ。
駅の反対側には立派な地下通路で連絡しており、これを通る。それにしても人は少ない。
↑新地駅の海側。ここも更地状態。海側では造成工事?嵩上げ工事?が行われており、重機が動いていた。 私が新地で下車した理由は1つ。「被災した駅を見たかった」ためである。
しかし、更地状態の現状からすると、そもそもどこに被災した駅があるのか?とても見当がつかなった。 繰り返しになるが、更地状態のため、建物は何もない。コンビニすらない。1時間程度居ようかと思ったが、ビックリするくらい何もなく、元の駅の場所も手掛かりがなかったため、予定より1本早い列車で原ノ町へ。
14回目に続く。
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