【夕張→沼ノ沢2624D/石勝線夕張支線沼ノ沢駅・鹿ノ谷駅】北海道の維持困難線区を見る㊾

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【訪問日】2018年9月23日(日)

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【列車番号】2624D(千歳行き)

【時刻】夕張(Y25)7:08→沼ノ沢(Y21)7:27

【車両】キハ40-1706

★夕張7:08発の初発2624Dに乗る

前日から宿泊していた「ホテルシューパロ」を6:00過ぎに出発する。まずは夕張駅とは逆方向に。

↑人通りは皆無。前夜に雨が降ったためひんやりとしている。

↑着いたのは花畑牧場夕張工場である。花畑牧場の生キャラメルは北海道土産では有名であるが、生産拠点は十勝の中札内町で夕張工場は夏季のみ稼働するとの事。9月23日の段階で稼働しているか不明であるが、朝早い時間と言う事もあってか誰も居ない。

↑夕張希望の丘。実質的には花畑牧場の駐車場のような感じだが、最近使われた気配がなく草が生えまくっていた。GoogleMapsによれば夕張駅までは徒歩30分。6:30を少し過ぎていたので、撮影も考えれば急ぎ足で向かわないと2624Dに間に合わなくなる。

↑夕張市役所付近。断続的な下り坂。やはり人通り、クルマ通りもない。

↑7:00前に夕張駅に到着。人通りがないのは相変わらず。2624Dは初発となる列車であるが、夕張から乗るお客はそんなに居ないようだ。

↑新夕張6:30発の初発2621Dが夕張に到着。同業者(鉄道ファン)が数人降りてきた程度。夕張から乗車する同業者も6~7人いたが、地元客は2人程度しかいない。

↑改めて夕張駅を撮影。ホームの幅が意外と狭く、タテに1列並べばそれだけで人でいっぱいになる。JR北海道のワンマン列車は「前乗り前降り」なので、夕張駅の場合駅の入口から乗車口までやや長く歩く事になる。

この日は「北海道フリーパス」が使えない日(7日分全て使い切ったため)だったので、整理券を取り沼ノ沢までの運賃260円を車内で払う事になった。

夕張を7:08に発車。次の鹿ノ谷(Y24)のホーム上には跨線橋があってここが”お立ち台”。同業者が3人程度2624Dの写真等を撮影。やはり三江線の時と同じく、車内では同業者の落ち着きがない。駅に着くたびに駅名表撮影のために前に後ろに動いたり、前面展望が向きの同業者は駅に着くたびに運転席からの様子を撮影したり、運賃表を撮影する。中にはクルマで2624Dを追いかける同業者も居たが、「だったら乗れや!」と。

鹿ノ谷では乗降なし。清水沢(Y23)では同業者1人降りて、地元の人が1人乗る。南清水沢では地元の人が7人程度乗ってきた。人の流れとしては新夕張に向かってで、一応夕張鉄道バスは新夕張まであるが本数が少ないため、それがない時間帯は夕張支線にお客が流れる格好だ。

南清水沢(Y22)~沼ノ沢の間にある夕張起点11キロポスト付近。右にカーブするトンネルの近くである。現在は単線分しか使用されていないものの、トンネル跡が残っており昔は複線であったことがわかる。この辺は路盤や地盤が悪いらしく、25km/h制限であった。

★沼ノ沢駅も私鉄が分岐していた跡。ホームには花壇があって心がホッとする

↑沼ノ沢で下車したのは私と同業者1人だけ。この同業者は駅前にバイクを止めていて、これに乗って別の”お立ち台”に向かった。

↑今は1面1線しかないホーム。よく見てみると草むらに隠れた部分は、線路だった?ような感じが。

1987年まで存在した「北海道炭礦汽船(たんこうきせん)真谷地(まやち)炭鉱専用鉄道」と言う私鉄が存在した。これも石炭輸送の鉄道で、沼ノ沢から約4キロの路線。細かい資料が残っていないらしく実態は不明だが(ご存じの方が居たら詳細を教えてほしい)、真谷地炭鉱が閉山と同時に鉄道も廃止になったと言う。

↑行き止まり式のホームも残る。これも前述の私鉄の名残だろうか?

待合室も広くて、ベンチが何席もある。駅舎に入る前には花壇があって定期的に整備されているようだ。三江線の川戸を思い出すが、このような駅に降り立つとなんか心がホッとする。

沼ノ沢駅には料理店が併設されており、以前夕方に降りたら店主の声が駅舎の中にいても筒抜け状態であったが、さすがに朝7時過ぎではまだ営業は始まっていなかった。

★ゴローに始まりゴローに終わる?

【列車番号】2623D(夕張行き)

【時刻】沼ノ沢7:53→鹿ノ谷8:14

【車両】キハ40-359と他1両

↑2623Dは2両連結。車両は日高線用のキハ40の350番台であったが、日高線は災害により鵡川~様似では鉄道運行していないため、キハ40も余り気味。夕張支線や室蘭線で営業に就く事も多い。車内はそれなりに混雑していた。それでも各ボックス席に1~2人程度で、立客も居ない。客層は同業者と地元客が半分ずつ程度であった。

南清水沢では2~3人が乗降。店舗が多い地区のため駅の規模の割には利用者が多い。やはりクルマ・バイクで2623Dを追いかけながら動画や写真を撮影する同業者が多い。Youtubeやブログ等で夕張支線のそのような作品は見つけていないが、道路交通上危険が伴う行為だし、マナー面でも良くなく、乗っているお客も「なんでずっと追いかけているんだ?」となるので、むしろマイナス面が大きい。

↑鹿ノ谷で下車。私を含めて2人だけで、もう1人はやはり同業者であった。私は前のキハ40-359に乗っていたが、車内では後ろの車両が何か確認していない。夕張へ向けて発車する所を見送ると、後ろにつないでいたのはキハ40-356。”ゴロー”である。「車両は日高線。まさに日高晤郎!」。

「後ろ(キハ40-356)に乗っておけば良かった!」

と後悔したのは言うまでもない。今回の遠征、静岡→横浜のJR東海バスの夜行バスは「744-18956」と”ゴローから始まり”、JR北海道の列車で最後の乗車となった夕張支線の2623Dも乗る事は出来なかったが連結相手が「キハ40-356」と”ゴローと終わる”のは、偶然なのかもしれないが、これも1つの縁だと思った。

↑鹿ノ谷駅も1面1線。かつては夕張鉄道が鉄道を営業していた時の線路跡も残ると言う。ここも広い構内が歴史を語る。

鹿ノ谷駅は夕張支線に乗った時には必ず来る駅なのであるが、前回来た2016年(詳細は次回以降に書く)と大きく変わらない。以前は窓口も営業していたようだが、今では完全な無人駅になっている。他駅のように日差しが入って来ない構造であるため、朝日がまぶしい朝8時過ぎでも駅舎の中は暗い。

↑駅全体が見える跨線橋へ。ここは”お立ち台”となっており、主にクルマで来た同業者が7~8人は居た。数年前の「JTB時刻表」の表紙にもなった構図なので、夕張支線では有名な良好な構図が得られる場所でもある。しかし、跨線橋自体は老朽化しており、あちらこちらが錆びているため安全面では不安を感じる。

8:28発の2626Dが入線。元々は千歳行きであったが北海道胆振東部地震の影響により追分止まりに変更となっていた。そのまま夕張で折り返した同業者が多かったらしく、2623Dと似たような顔ぶれであった。キレイに晴れた鹿ノ谷はなんともすがすがしい気分だ。「雨上がりの鹿ノ谷」も毎回の事で今回は非常に気持ち良い内容になった。

本当はゆっくりと鹿ノ谷居たかったが、札幌行きの夕張鉄道バスの時間が迫っていたため、これで夕張支線は終わりとなった。札幌市内に到着後は、10月3日まで開かれていた一般向けの日高晤郎さんの墓参りに行って帰路に着いた。

★次回予告

夕張支線は今月3月31日(日)で最終運転日を迎える。私は前日から夕張に入って最後の姿を見ようと思っている。単純に夕張行くだけではつまらないので、2018年9月の遠征で巡る事が出来なかった道南・道央圏の維持困難線区を別件で夕張に入る前に見る予定となっている。ブログへの公開は2019年4月以降の予定である。

次回以降は2015年と2016年に夕張支線に乗った時の記事を改めて公開する。

50回目に続く。

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KH8000

普段当たり前のように乗っている鉄道、バス、クルマは、意外と深い所まで知らない人が多いのではなかろうか? 例えば「何で大雨が降ると電車が止まってしまうのか?JRは簡単に止まるのに、私鉄が止まらない!その差は何か?」と素朴に感じるみなさんが知りたい”今話題のネタ”を、テレビ・新聞・SNSよりも詳しく、わかりやすく、深くしゃべり倒す!

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