【宮古→釜石をJR山田線代替バス乗車】東日本大震災で被災した鉄道を見る⑤

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もくじ

★JR山田線宮古→釜石は代替バスに!原則的にJRのきっぷ使用不可のため別料金になるが、実態がわかりにくい・・・

【訪問日】2018年1月3日(水)

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【便名】岩手県北バスB41系統の(岩手)船越駅行き

【時刻】宮古駅16:05→道の駅やまだ17:07

【運賃】830円

【備考】2019年3月23日(土)から宮古~釜石は三陸鉄道リアス線として復活。同時にJR東日本は同区間の鉄道営業から撤退。

東日本大震災で被災した鉄道を乗り歩くにあたり、最もハードルが高いのがJR山田線の宮古→釜石である。

東日本大震災では、揺れによる建物等の倒壊、営業列車の脱線事故、さらには大津波に襲われ山田町や大槌町を中心に壊滅的な被害を受けた。震災復興も容易ではない。津波にさらに強い街づくりが求められて、鉄道を復旧させる際もそもそも元の場所に通すのか?別の場所に通すのか?と言う大きな選択が迫られた。 JR東日本は山田線の復旧について、鉄道を止めてバス(BRT)転換を提案したが地元から反対された。結局は鉄道による復旧が選択されて、必要な費用はJR東日本や国が出して、完成後はJR東日本は撤退。三陸鉄道に移管される事になった。 2019年3月23日(一般営業は3月24日~)に三陸鉄道の路線として宮古~釜石が復活する予定だ。

復活するまでの間は、バス輸送と言う事になるが、これが地元の人ならば知っている事でも、遠くから来る人にとってはわかりにくい。一応は広くアナウンスされているが、どのような形になっているのか?実態がわからないのだ。
「北海道&東日本パス」等のJRの企画きっぷの注意書きには、「宮古~釜石の代替バスは利用出来ません」とある。 似たような言葉で、「代行バス」と言うものもあるが、当該区間ではそのように称していない。(詳細後術)

↑三陸鉄道の隣にあるのがJR東日本の宮古駅。目の前にあるのがバスのりばである。

↑盛岡に行くには、106急行バスが便数が多くて便利。むしろ宮古~盛岡の都市間移動は106急行バスが主体で、便数が極端に少ないJRを使う人は少数だ。私もこの区間の山田線は10年くらい乗っていない。

↑山田線の「代替バス」になるのが、岩手県北(いわてけんぽく)バスのB41系統の船越駅行き。

岩手船越駅は本州最東端の駅として知られているが、実際の乗継は少し手前の国道45号線沿い道の駅やまだとなる。 JRのきっぷは使えない。昔からある?岩手県北バスの独自路線で、JRが依頼してバスを動かしているわけではないので、既存バス路線をそのまま山田線不通区間の輸送に充てようと言うもの。こういうような形態を「列車代替バス」と言う。

バスに社内番号がない?らしく、「岩手200か285」と言うナンバープレートで判断するしかない。いすゞの古いタイプのバスだ。一般的な路線バスであるが、珍しい事に「前乗り前降り」。交通系ICカードは使えない。下車時に運賃830円を払う。


宮古市中心部を抜けると国道45号線。基本的にはこれを道なりに進む。「イオン釜石」の大きな看板が見えてきた。56kmも離れている。遠い。この距離を代替バスを乗り継がないと考えると、体力的にはしんどい。

海沿い、リアス式海岸を進む。「津波注意」のような看板も多い。震災復興は進んでおり、造成地も。 津軽石駅に立ち寄る。線路は新しくなっていたが、まだ営業開始していないので駅舎内に入る事は当然できない。

国道45号線は一部、山田線と並走している。複雑な入り組んだ海岸線が三陸の特徴であるが、逆に言えば津波被害を拡大させた存在でもある。豊間根(とよまね)は駅には直接入らず、国道沿いのバス停で乗降させる。 震災では津波被害で壊滅的な被害を受けて、震災当日の夜は大火(たいか=大規模な火事)に発展してしまった陸中山田。キレイに区画整理されており、震災前の面影が全くなかった。国道沿いにはコンビニ(セブンーイレブン)や薬屋(ツルハドラック)、7~8階建てのマンションが5~6棟もある”大都会”になっていた。一方ではプレハブの建物もまだまだあって、地域や収入等によってはかなりの「格差」があると感じるしかなかった。

★道の駅やまだで釜石行きに乗り換え

【便名】岩手県交通、釜石駅経由上大畑行き

【時刻】道の駅やまだ17:28→釜石駅18:16

【運賃】650円

↑道の駅やまだで乗り換え。前述のとおり国道45号線沿い。1月の夕暮れは早い。17時を過ぎれば真っ暗に等しく、「夜」そのものである。 夕方ともなれば、道の駅の売店や食堂は店じまい済み。使えるのは、トイレや飲料水の自販機程度。 既に駐車場には路線バスが1台止まっていた。これが釜石駅方面行きとなるバス。バス会社が変わって岩手県交通のいすゞ車になる。 「岩手22か1018」と言うナンバープレートで、車両の形からして1990年前後に製造されたか?

私のように宮古~釜石を乗り継ぐお客は他に居ない。偶然だろうか? 昼間であればもう少しいるのかもしれないが、鉄道がない今やこの区間の移動もクルマに転移してしまったのかもしれない。 利用の実態は地元の人の足。細かい利用が本当に多い。むしろ長距離乗る人が少ない。 大槌を通る。ここも津波で壊滅的な被害を受けた場所である。区画整理が進んでおり新しい住宅やマンションも。それは次の鵜住居(うのすまい)も同様であった。


6回目に続く。

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KH8000

ご覧くださいまして、ありがとうございます。 当ブログは鉄道・バス・ヒコーキ・船について、読者の皆様が”乗りたくなる”公共交通機関の魅力をお伝えします。 実際に私が乗った時・撮った時の感想などについて「乗車記」「撮影記」として、各地の秘境駅や注目の鉄道駅に直接訪問し現地で知り得た事を「現地調査」として、”他所よりも詳しく”、鉄道系YouTuberに負けぬほどの勢い・情報量・知識・感動体験を当ブログでお伝えします。 私はJR全路線全区間乗車(JR完乗)済みで、鉄道友の会の正会員(一応某支部の幹部・撮影会などの行事についても詳しくお伝えします)です。当ブログのフォロー(ブックマーク)は誰からも大歓迎です。

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