【三陸鉄道北リアス線112D普代→宮古】東日本大震災で被災した鉄道を見る④
もくじ
★4キロ以上の長大トンネル、個性的な駅舎が多く、駅訪問したいと思う三陸鉄道北リアス線
【訪問日】2018年1月3日(水)
【列車番号】112D(宮古行き)
【時刻】普代14:54→宮古15:50
【車両】三陸鉄道36-705
【備考】2018年6月現在は114Dに相当する列車

↑トンネル続きであったが北リアス線であったが、大きく車窓が開けてきた。建物が増えて高規格道路も。

↑普代駅では乗り降りが一定数あった。マクラギはコンクリート化されており、ホーム長も長い。でもやって来る列車は短い。何両分の列車が入る事が出来るのであろうか?
普代を発車すると再び長いトンネル。最初に入った普代トンネルは4700メートル、その先の羅賀トンネルは1271メートルと1000メートルを超える。



↑有効長がやはり長い。田野畑駅。田野畑村の外れ?にあるらしく、村の中心部と言う雰囲気が全くない。それでも村の入口である事には変わりなく、キレイに整備されている。津波に備えて「津波避難所」も見える。

↑島越(しまのこし)駅。東京駅?をイメージしたかのような洒落た駅舎で、今度来たら是非下車したい駅と思った。震災では津波の直撃を受けて壊滅的な被害を受けた。新築駅舎として再建しており、周辺の線路も同様である。

↑岩泉小本駅。この駅の直前まである小本トンネルは5174メートルもある。これでも北リアス線第2位の長さだ。
岩泉と言えば、JR東日本が2010年まで営業していた岩泉線の事を思い出す。岩泉駅には岩泉小本駅からバス連絡で約30分程度だ。元々男岩泉線は岩泉小本まで延伸する事になっていたが、結果として延伸されず「未成線」として終わっている。

↑岩泉小本~摂待(せったい)
広い畑が広がる。線路は高架線で直線的な線形のため速度も速い。



↑車内の様子。36形(さんりくがた)は新潟トランシス製の地方私鉄向けの一般型気動車(NDCと称すると思った)の作りが基本で、座席構造はボックス。ボックス席でも座席のスペースは広く、中央にドーン!とテーブルが設置。ゆっくりと食事できたり、本が読める場と考えると、ありがたく、温かみも感じる。
冷たい風を車内に入れないようにするために、ドア付近の座席には透明の仕切り板も。各ボックスに1~2人程度のお客となった。

↑摂待駅。高架上にあるホーム

↑摂待駅を発車。ゆるくカーブする曲線で、北リアス線最長の6532メートルある真崎トンネルに突入。


↑田老(たろう)駅では、115D久慈行きと交換。田老は「万里の長城」と称された津波が入ってこないようにする大きくて高い防潮堤がある事で知られるが、震災ではこれも軽々と超えるほどの津波が来たと言う。
まだまだ復興途上で、どのような街づくりをしているのか?不明ではあるが、次に来た時には姿が変わっている事であろう。


↑佐羽根(さばね)駅では、シカ、クマ、ウサギの銅像。かわいらしい。でもこの付近ではクマが出没しやすいようで、「熊出没注意」の看板も。
お客は思うように増えない。宮古に向かって増えるかと思ったが、そうではなかった。北リアス線では観光利用も多いため、タイミングによっては混雑が激しくなる事もあるようだ。


↑宮古に到着。運賃1850円は運転席横の運賃箱に投入する。宮古でも運賃は車内収受方式であった。
車内では宮古到着前に、JR山田線盛岡行き、106(ヒャクロク)急行バス盛岡行き、(岩手)船越行きバスに乗り換え案内が運転士から放送で入った。

↑三陸鉄道の本社もある宮古駅。お客が入れる場所は、有人のきっぷ売り場、待合室、売店と単式のホームだけとシンプル。2019年3月以降は、JR側に駅舎を移転させるため、この建物は三陸鉄道の事務所に転用する見込みだ。 宮古駅周辺も再開発が進行しており、震災で活気が薄れたと言われる三陸各地の主要都市が「ウソである」と言いたいほど、人が多く活発に行き交っていた。
5回目に続く。
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