【アメブロの振り返り投稿/ブログは独り言か?】ザ・ブログ論②
ブログのあり方について不定期掲載の「ザ・ブログ論」。もう2回目を迎えた。今回もブログをやっていて思う事をいろいろ書く。
もくじ
★アメーバブログ(アメブロ)の「振り返り投稿」がウザい
アメブロの管理画面を見ていると、「○年前のこの日投稿した記事があります」と出て来る。クリックしてみると、当該記事が出て来て、「思い出を振り返る」と出て別途ブログ更新できる。
私に言わせると、この存在がウザい!
私は過去に書いた記事について、振り返る事もやらないし、検証する事もやらない。誤りがあればわかり次第その都度修正する程度で、「○年前にこういう事をやっていた」と過去を回顧するような事は、私の性格上嫌いである。そもそもこれで投稿している人は居るの?投稿している人がいるならば、どういう目的で投稿しているのか?教えていただきたい。
振り返り投稿をガンガン宣伝して、アメブロにはどんなメリットがあるのか?とも思う。単にブログ利用者が増える理由になるのだろうが(ブログを書くネタがない人も散見されるので)、これで収益アップを狙うと言う事か?
私にとっては「振り返り投稿」自体要らない機能だし、消していただきたい。ユーザー側で無課金で消せる方法ないの?
★ブログは「独り言」を書くメディアなのか?
SNSとブログは決定的に違う。インターネット上で自分の意見や活動を表明する公共空間である事には変わりなく、それは各ユーザーが創設したテレビ局・ラジオ局のようなものだ。各ユーザーがプロデューサー・ディレクター・演出家・演者である。
SNSは他のユーザーと”つながる”事が特徴で、すぐにレスポンス(コメント等の反応)が返ってくるが、ブログは意外とそうではない。ブログでそうするにも運営方法次第で変わってくるのは言うまでもないが、SNSではその努力をやらなくても自然にレスポンスが付くのに対して、ブログはその努力をやらないとレスポンスが付かない。私のようにその努力をする仕組みを作っていないので、レスポンスが少ないのも当然である。
レスポンスが少ない=本当に読まれているかわからない
と言う事だ。一応「数字」としてはページビュー(PV)等で確認する事が出来るが、これが多い≠レスポンスも多いではない。
これが多い記事でも、コメント1つも付かないもの付かない。逆にこれが少なくてもかなりの数コメントが付く事はある。
私は「エゴサーチ」をしない主義であるが、当ブログに関して検索すれば相当数の批判意見がある事は承知している。それはそれで良いと思っている。批判するならば勝手に批判すれば良くて、当ブログの「イエスマン」なんて居ないと思っているので。当ブログが嫌いならば、見なくて結構!これは「日高晤郎ショー」と同じスタイルである。好きな人だけ見てくれ!と言うものだ。
アクセス数で見れば、極端に毎日あるのか?と言うとそうではない。1日に数百件程度のPVならば世間を動かす事は出来ない。影響力も少ない。一部の輩が炎上騒ぎみたいなことをSNS等の”よそ”で展開していたりするが、それはSNSで誰かが投稿して、それを見た人がドミノ倒し的に拡散させた結果。
ブログでも同じ事はあり得るが、SNSほど頻繁にあるわけではない。ましては、アクセス数が1日数百程度ならば、そのようなリスクは極めて低い。(私の経験則による)
かつて散々JR東海の批判を書きまくって、いろんな意見をみなさんから頂戴したが、同社から公式に見解表明があったり、謝罪があったのか?と言うと、全くない。もし同じ批判を堂々とSNSでやっていれば、そういう事に発展した事はあったのかもしれないが、有名人でもない”素人さん”が書いたブログについては、例えば会社の内部告発的な事とか、企業秘密的な事などの部外にバラしてはいけない事を、アクセス数1日数百程度のブログに書いた所で、大きな社会的影響はあまりないのではないか?
私は批判する時に「汚い言葉」(テレビでは間違えなく放送禁止用語)を使用する事も多々あるが、「この言葉遣いはいかがなものか」と言う批判は、ブログを10年やっているが意外にも一度も直接頂戴した事がない。この種の批判はSNSでは日常である。
最近思うのが、レスポンスが少ないので「ブログは独り言を書くメディア」なんだと。独り言をネットと言う公共空間に放出しておいて、それで終わり。それは書き手(私)にとって、リアルに知っている人たちに対してこのブログの存在を教えない上で、”別の世界で今自分が不満に思っている事に対するガス抜き”とさえも思っている。特に検索にヒットする事もなく、ネット記事の山に埋もれて行くと言うものではないか?
またブログに対して、書きたい事があったら第3回目として別途公開する。
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